白川池は岩屋と和爾の境に位置する。かつては和爾方面からしかアプローチできなかったと記憶している(昔の地形図で確認していない)。白川池の水は楢(なら)川を堰き止めている。その楢川は和爾のすぐ南から楢へと流れる。
白川池から堰堤の北側に沿うようにして楢川へと下った。かつての堰堤と違い、草原になっていない。灌木を植え、滑り台もあって遊園地的にしようとしたようだ。
池の周辺の多くは天理教が購入したらしい。その後の開発を想定していたように思うが、新しい白川池が完成した頃から日本の景気が悪くなった影響だろうか。また、天理教の信者の数も減っているらしい(人口が減っているから当然なのだが)。そのせいか、放ったらかし状態になっている土地が目立った。かつての白川池の素晴らしい風景がみすぼらしくなっていた。
白川池から下った楢川沿いの道を長らく歩いていない。とはいえ、何回も歩いているから、多少記憶がよみがえった。近道を思い出し、和爾の村に入った。
山の上と呼ばれる高台の横を通ると村のメインの(といっても狭い)道路に出る。少し下り、広場(とみの森広場と呼ばれているらしいが、かつては共同の風呂があり、横が村長の家だったとか聞いたことがある)を右手に見ながら登ると和爾坐赤阪比古神社に出る。
神社の奥が古墳だと最近知った。小さいながら森になっている。子供の頃、その森に入って探検したものだ。
神社の向かいにお寺、善福寺がある。本尊が重要文化財だというのも最近知ったことだ。境内にはお地蔵さんが六体(ここは漢字しかないが、六体)並んでいる。かつて寺の外の道にあったように思うのだが、記憶間違いか。
善福寺に母の実家の墓がある。昨年、義理の叔母さんが亡くなったのでお参りしておいた。
写真が和爾坐赤阪比古神社である。奥の森が古墳になっている。子供の頃、本殿に自由に上がれたが、今は柵がしてある。
2020/01/20