川北英隆のブログ

奈良初瀬の天神山へ

中学校以来の友人M氏を誘い、初瀬というか、長谷寺の東にある天神山(455メートル)に登ってきた。かなり以前から、ちらっとながら目を付けていた山である。何故か。
余計なことながら、「長谷寺」で検索すると、鎌倉の長谷寺も出てくる。今回はあくまでも本流の奈良の長谷寺である。
そもそもの地名の由来は初瀬であり、さらに遡ると万葉集に登場する「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」である。最後の地名、泊瀬は今回の登山計画を立ててはじめて知っただけだが。さらに余計に走れば、隠国は泊瀬の枕詞であり、「山に囲まれ隠っているような地」を意味するとか。
かように、歴史的に鎌倉の比ではないと、奈良県人として強調しておきたい(かな)。
それはともかく、何故天神山に以前から注目していたのか。天神山の地形図を見ると長谷寺との間に「与喜山暖帯林」とあり、そこに(確か)天然記念物の記号が付けられているからだった。
与喜(よき)山について、桜井市のホームページには「与喜山は長谷寺の寺領として伐採が禁じられ、原生林の状態が残され、天然記念物に指定されている」とあり、さらに「滝倉(初瀬から3キロ位北にある地名であり、そこに神社がある)は本地主神、与喜山は今地主神といわれてきた」とある。
そうそう、与喜という地名も、えらくめでたい。喜びを与えるのだから。また「吉き」に通じるのだから。
もっとも、今回歩いてみたところ、何故この地が尊ばれ、古代の聖地になったのかは、実のところわからなかった。
古都の奈良に恵みの水を運ぶ初瀬川(大和川)が山から沢として下ってきて、盆地に注ぐ出発点だったからかもしれない。この初瀬からは峠を越えて伊勢へと街道が続くのだが、初瀬を最後に奈良盆地に注ぐ顕著な(夏でも水の豊かな)川がないことも影響しているのかもしれない。いずれにせよ奈良盆地、降水量が少なく、溜池が発達していることと関係しているのではないかと思っている。素人の推測であるが。
さて、与喜山というか天神山の麓には、初瀬川の谷を挟んで長谷寺と向き合うように、與(与)喜天満神社がある。神社で友人がもらった説明書きやネットなどを見ていると、長谷寺と與喜天満神社は一体なようだ。どちらが先に建立されたのかはともかく(民族的には神社が先だろうが)、1818年、長谷寺が與喜天満神社の本殿を再建したとある。与喜山暖帯林が自然のまま保存されてきたのも、長谷寺と一体のものとして神聖視されてきたからに違いない。
説明が長くなった。そんな与喜山のピーク、天神山を目指して歩いてきた。登る前は「たかが455メートルの山」と油断していたところ、存外に歩きごたえのある良い山だった。与喜山暖帯林の名が泣かない。
どんな山だったのか、次に少し記録しておきたい。写真は與喜天満神社である。
20200318與喜天満神社.jpg

2020/03/18


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