川北英隆のブログ

危機時に問われる真価

今日は子供の日。どんな大人になるべきかを子供に言い聞かすわけではないが、ふと「リーダーとか専門家と言われる者達は何をすればいいのか」考えてしまった。昨日報じられた緊急事態宣言の延長も手伝ったと思う。
緊急事態宣言の延長、驚くべきことではない。そもそも「緊急事態」という表現が変である。いかにも瞬間で終わるようなイメージを持たせているが、本当は「非常事態」だと思う。
ぼやきたくはないのだが、命名からして政府のセンスの悪さというか、大本営発表主義が伺える。大本営発表主義とは、自己擁護主義でもあると付記しておこう。
専門家会議なるものが発言していないのは(はっきり言わないものだからニュースにならないのかな)、国内での移動ならまだしも、海外への移動の自由が取り戻せるには長い時間がかかるだろうということだ。とりあえず、国内で感染したら何らかの措置はとってもらえるかもしれないが(いまだに「とってもらえる」と断言できないのは残念だが)、海外で感染したらどうだろうか。これが海外に自由に行く(海外から来る場合も同じで)大きな壁となっている。
政府の対応で思うのだが、リーダーの真価が問われるのは危機時である。普段は昼行灯(ひるあんどん、死語かな)でもかまわない。現実には不可能かもしれないが。細かな指示はかえって邪魔である。それは係長のすることでしかない(誰かの口癖だった)。組織の進んでいる方向が間違いないのか静かに見定めつつ、将来のチャンスやリスクをしっかりと描き、大局的な準備をしておく(させておく)だけで十分ではないか。
チャンスが到来したときには成果がしっかり得られるから、誰にでもリーダーの素晴らしさが評価できる。
しかし、危機時にはそうはいかない。「みんなが戸惑っている、混乱している、だから仕方なかった」と言い訳できる。それでは真のリーダーではない。みんなと違う対応を指示に加えつつ、危機を素早く乗り切る。プラスの成果は少ないかもしれないが、被害を最小限に食い止めたことが大きな成果となる。
専門家は、真の専門家としての知識と見解を持つべきである。「微熱ならしばらく自宅で様子見を」という見解、素人目にも変だった。この見解、感染検査の限界から逆算した結果でしかなく、医療崩壊を危惧したようだ。しかし、そうであるのなら、むしろ検査と医療体制の早急な強化を強く発言すべきでなかったのか。
「緊急事態」と「非常事態」の命名の差によって運命が別れたと、ここでも感じる。「緊急」だから、国民には「少々の発熱なら我慢しろ」となったのだろうが、「非常」であれば、医師会や役人などの見解や思惑を超えて、「検査や医療体制を飛躍的に整備せよ」と、肝っ玉の小さな専門家であっても堂々と主張できたはずである。
今となって専門家と称されてきた者(実は面識がある)が、「軽症者や疑いのある者にも検査を」との趣旨の発言をしたらしいが(TBSニュース)、「今さらねえ」と笑ってしまった。
と、いつもながらのぼやきになった。最初に戻ると、コロナ禍に巻き込まれた今の子供には、今回の出来事は素晴らしい社会教育だったと思う。この顛末をしっかりと記憶に留め、尊敬される大人になってほしい、真のリーダーや専門家として将来活躍してほしいと望むだけである。

2020/05/05


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