川北英隆のブログ

レナウンの株価の哀れ

レナウン娘から婆さんへ、その過程を株価から取り急ぎ分析してみた。衰退は明らかだったが、突然死するとは、直前まで誰も思っていなかったのではないだろうか。
いつがレナウン娘の魅力が満開だったのかを調べた。月単位では1990年1月末だったようだ。当時の時価総額は3683億円であり、これがピークだった。当時の東証1部の時価総額は577兆円と、今と大差ない。その時点において、時価総額3000億円台の企業とは、それなりのものである。
現在の時価総額をヤフーファイナンスで確認した。個人に知られた3000億円台の企業として、カルビー、コカ・コーラ(ジャパン)、ロート製薬、ニコン、キューピーなど、次々に登場する。
しかもレナウンの場合、関連会社(29.3%保有)としてレナウンルックも上場していた。この関連会社も600億円程度の時価総額だったようだ(正確には調べておらず、単なる概算)。
なお、2002年、レナウンルックは社名から「レナウン」と取り、「ルック」となり、独立色を強めた。レナウンの衰退と関連するのだろう(もう少し詳しく経緯を調べようとしたが、当時の資料が簡単には見つからない)。レナウン自身、2003年以降、ルックの持ち株を減らし、現在は関係が希薄になっているようだ(現在もルックがレナウンの株式を0.4%保有しているが)。
レナウンの時価総額に戻ると、この5/15の終値(破綻が報道される直前)では、79億円にまで落ち込んでいた。
当然だろう。1980年代の後半のバブルの時期、レナウンの経常利益は100億円台に達していた。実のところ、営業的にはレナウンのピークは1981年だった可能性がある。当時から積極的に事業展開を図っていたようだが、その後の売上高などの成長に結びついていない。詳しくは調べられていないが、いわゆる財テク(株式などの投資)に奔走し、営業で冴えない分を嵩上げしていたようである。
それがバブル崩壊とともに悪化した。売上高が減少に転じ、91年以降は赤字の連続に陥った。2003年から2年をかけ、これも関連会社だったダーバン(アラン・ドロンのコマーシャルで有名だった)と経営統合を図った。しかし、ダーバンの業績もレナウンより少しましな程度だったようだ。
経営統合後も業績が冴えず、リーマンショックの影響もあり、2010年に中国企業の傘下に入った。それでも業績が持ち直さず、足元では頼った中国企業の業績も悪化していたとされる。
ついでに純資産額を見ておくと、1991/12に1885億円あったが、ダーバンとの合併の前には346億円にまで減っていた。06/2月には合併と、投資会社への第三者割当増資よって609億円に戻したものの、その後は減少傾向をたどり、19/12決算時には153億円にまで減っていた。
株価だが、民事再生手続きに入ることをインサイダー的に察知したような、不自然な動きはなさそうである。あったとしても、大きなものではないだろう。
ついでに、レナウンが東証1部だったということは、日銀ETF買入によって株価下支えの恩恵に与ったのではないかと、分析してみた。と、日銀ETF買入のあった日には多少ではあるがプラスの効果があったようだ。
日銀、ETFを買い入れるにしても、もう少し工夫しないと。そうでないと、万年赤字に近い企業の株価まで下支えてしまう。もしかして、往年の魅力的な娘(企業)も助けたいと、そんな強い思いがあったのかもしれないが。

2020/05/16


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