株主総会に象徴されるように、企業の意思決定に関してメモしておく。個人投資家が世の中の風潮に流されないためである。ある意味、コロナ対策で「対外的な行動を自粛せよ」と言われたら、それに唯々諾々と、しかもオーバーに従うような愚を避けるためのメモでもある。
この数年、株主総会での議決権行使にオーバーなほど焦点が当たってきた。公的年金等が、「議決権行使をちゃんとやらない機関投資家なんて今後は雇わない、そのファンドを採用しない」と表明したからである。
ここで重要なのは、議決権行使にどの程度の重要性があるのかの確認だろう。機関投資家にとって一番重要なのは、株主総会での議決(議案に対して賛成だったのか反対だったのか)ではなく、それに至るまでのプロセス、つまり本来の意味でのスチュワードシップ活動であり、端的に言えば水面下での企業との交渉である。
この点でまず気になるのが、現金(同等物を含む、以下同じ)の保有であり、配当である。現金保有の重要性は今回のコロナ危機で表面化した。
これに関して覚えているのは、京都企業の多くが2008年のリーマンショックの記憶から、「現金を積もう、いざという場合には銀行が役に立たない、つまり銀行は晴れの日に傘を差し出し、雨の日に傘を引っ込める」との意識が強かったことである。京都の特殊な事情として、地銀もしくは信用金庫しかなく、大量の資金を調達できないからだろうが。
この現金に対する感覚は、当時の常識からずれていた。「現金の保有なんて敵だ」、「現金を積むのなら、もっと配当を、もっと自己株式の買い入れを」と、いわゆる物言う株主が十把一絡げに要求してきたわけだが、それが短期的な視点だったと、今回明らかになった。本物のプロの投資家なら、企業が現金を積み上げている真意を聞くべきであり、議論すべきである。その上で、反対すべきなら反対すればいい。
配当も同様である。配当した残りが企業の成長戦略に使われる。これは事実なのだから、むしろ、配当の裏側にある成長戦略をしっかり問うべきである。にもかかわらず、ある企業の配当性向が低いと言うだけの理由で、その企業の配当政策に反対していないだろうか。
もっと言えば、配当は取締役会で決めるべきものであり、株主総会の議案としてはマイナーである。株主総会で議論すべきなのは、企業の成長戦略であり、経営者がその戦略を明確化するかどうか、株主にどうわかりやすく説明するのかである。バークシャー・ハサウェイのバフェットの話しのように、それを聞きたいという理由だけで(当然、お土産目的ではなく)、株主の集まる株主総会が日本にあるのかどうかである。
コロナ危機により、多くの3月決算企業では、6月下旬の株主総会の開催が怪しくなっている。延期してもいいのだが、大問題がある。会社法上、総会を延期すると3月末の株主に配当を支払えなくなる企業が大多数を占めることである。そうなれば、個人投資家の期待を裏切ることになり、東証が注意喚起していたとは言え、大騒動になろう。
この原因の根本は、「株主総会の第一目的=配当を決めること」としていた方針にある。この方針のために、企業は配当の権利落日と決算期末とを一緒にした。同時に、取締役会決議だけで配当を決めないと、大多数の企業がしてきた。
むしろ、取締役会で配当を決める企業に対して、プロである機関投資家でさえ反対を表明してきたのである。たとえば、任天堂の「取締役で決めたい」との議案が否決され、みずほフィナンシャルグループでは、「配当を取締役会で決めるな、株主総会で決めろ」との株主提案の議案への賛成が過半に迫った。
公的年金などが、機関投資家に対して「形式にこだわらず、企業の本音を聞き、議論しろ」と言えばいいのだが、東証1部上場企業だけでも2000社以上ある。そんな多数の企業と真剣な議論は不可能である。
摩訶不思議なのは、「東証1部上場のすべての企業に投資することが望ましい」との思い込みに基づいて、公的年金が機関投資家に指示していることである。本当のところ、東証1部上場企業の中には、レナウンのような赤字垂れ流しの企業が混じっている。そこまでではないが、それに近い企業も多い。
さらに言えば、時価総額において東証1部上場企業はピンキリである(10兆円以上の企業と、10億円台の企業とが混在している)。その中から、小さな企業を投資対象から外したところで、公的年金の投資に大きな影響は起こり得ない。
すべての企業を投資対象として、株主総会での議決権行使を半ば以上強制するものだから、本当の意味での議論がおざなりになる。形式に逃げ込んでしまうことになる。
本当に自分の資金として、株式投資を行い、企業と議論しているのかどうか。それが問われている。コロナ危機がこの問題を浮き彫りにした。コロナ様々、企業も投資家も、神棚に祭り上げるべきかもしれない。
2020/05/20