川北英隆のブログ

飛鳥の風景と自然

奈良県人でありながら、子供の頃の飛鳥は中途半端に遠かった。飛鳥の中心部を訪ねたのはいつかと記憶をたどれば、小学校の遠足の時と、中学と高校時代に山城で有名な高取山に登って、そのついでに飛鳥を歩いた時くらいか。
大和三山を歩いた時とか、父親に連れられて壺阪寺に何回か参ったとか、多武峰に初詣をしたとか、周辺部には行っているし、吉野に行く時には当然通っている。そうそう橿原神宮にも何回か行ったことがある。でも、肝心の飛鳥の古墳群、亀石や酒船石などの遺跡、古寺やその跡など、訪ねた記憶はない。
と、ひょっとしてもう1回、社会人になってすぐの頃、同じM氏と歩いたのではと、少しだけ記憶が蘇ったものの、どこに行ったのかは忘れた。
石舞台は小学校の遠足以来のように思う。今回の歩きでたどり着いた時にも、中に入って大きな石組みを見た時にも、記憶の中の風景とは大きく違っていた。遺跡として整備されすぎたためかもしれないが。
今の石舞台、石の上に乗ることが禁じられている。小学校の遠足では上に乗ったように思うし、M氏は乗ったことがあると話していた。
僕も石の上に乗って記念撮影したような気がしたので、当時のアルバムを引っ張り出してきた。と、石舞台の2段になっている石組みの下側に乗って写っていた。さすがに一番上までは登らなかったのか。先生が注意したのかもしれない。そうでなければ、小学生は身軽だし、すぐにでも登りそうである。
飛鳥にあまり行かなかったのは、地理的な位置関係だけが理由ではないだろう。記憶が曖昧なことからしても、あまり歴史に関心がないに違いない。関心の多くは現時点のことである。歴史的な風景は、僕にとって、現時点の風景や出来事に中に溶け込んでしまっている。
飛鳥を歩いていても、マタタビの木や花が気になり、ホトトギスがしきりに鳴いていたとか、ツツドリとアカショウビンが一声鳴いたとか、そんなことに感心していた。山の主要部は吉野に近いためか、すっかり植林されていた。でも、最近だろうが手入れの不十分な箇所も目立つ。飛鳥川には倒れ、流された杉の枯れ木が多かった。
写真の上は石舞台である。下はマタタビの白い花である(スマホで撮ったのでピンぼけ)。キウイに近い。以前に書いたかもしれないが、若い茎を少し口に入れたところ、強い刺激があった。
20200613石舞台.jpg

20200613マタタビの花.jpg

2020/06/13


トップへ戻る