昨日の日経新聞10面に『伸びぬ特定技能 遠い「開国」』というと特集があり、その中に「日本の賃金 魅力低下」とあった。日本で働いても高収入が得られなくなったので、東南アジアなどからの「特定技能者」が伸び悩んでいるというわけだ。
そもそも「特定技能者」とは何なのか。高技能者ではない。コンビニのレジも特定技能の対象にしようとしているわけだから、要するに「もっともらしいネーミングによる、体の良い移民政策」として特定技能者を位置づけただけである。
こんな小手先の、もう少し言えばパッチワーク的な政策しか打ち出せないから、コロナのような本当の危機が襲った場合、日本国全体がパニックに陥り、政府は国民に「お願い、お願い、お願いやから」と「三顧の礼」ならぬ「三叫の令」だけの手しか打ち出せない。
それはともかく、このエセ移民政策(もう少し聞こえの良い、東京の緑のおばさん的横文字ネーミングではクワジ=quasi移民政策)も、日本の賃金が低迷しているから、希望者が低迷しているとのこと。日本の賃金の低迷、事実である。
その紙面に2000年以降、18年までの平均賃金のグラフがある。それによると、日本とイタリアだけが当初(2000年)の水準で低迷している。もう少し正確に書けば、イタリアは当初よりも少し上の水準で推移。これに対して日本は当初を下回る水準で推移していて、最近ようやく当初並に戻ったところである。独、英、米、仏などは当初との比較で1割から1.5割上にある。日本の多くがバカにしている(そう思える)韓国などは4割近く上にある。
何故日本の賃金が低迷しているのか。会社という共同体意識が強く、全員が我慢しているからだろう。「お願い、お願い、お願いやから」と、経営者からしばらくの我慢をお願いされ、社員は「しゃあないか」と思った。それのに、新入社員が「ええおっさん、おばさん」になっても我慢が続いているというわけだ。
我慢することの是非はここでは問わない(本音は、日本人は従順すぎる、積極性が欠如していると思っているが)。
問題は、そんな「お願い、お願い、お願いやから」としか言えず、それをそのまま続けている経営である。
念のために言えば、上で示した賃金の推移は平均値であり、「そんな経営、とうの昔に捨てた」という企業も当然出てきているし、活躍している。しかし、日本の多くの、とくに昔の大企業が社員に我慢を強いたままで、その間に経営者は世代交代するだけ、賃金を世界並みに上げる手を打てない、打たないでいる。つまり、経営としてできたことといえば、賃金を含めた経費カットだけに近いのではないのか。
もちろん、経費カットを悪いとは言っていない。冗費は切るべきだ。しかし、必要か不必要かも見極められず、「経費カットや」としか叫べず、それだけをやってきたに等しい企業経営とは、変である。
経費カットとは何か。そんなことは経営者でなくても、係長クラスならすぐに思いつく。東海林さだおの漫画に、社長か部長か課長かは忘れたが、「トイレは家で」と張り紙する1コマがあった。賃金を含めた経費カットとは、それと同類項になりかねない。
コロナの問題があり、ネットを用いた働き方が選択肢に加わった。「社員が家で仕事をしてくれれば、交通費、光熱費、通信費、すべての面で会社の負担がなくなる」、「オフィスの賃料も節約できる」、「ネットを使って働いているかどうか監視すれば、残業時間の把握はもちろん、勤務時間に応じた賃金体系が作れる」なんて考え、さらなる経費カットに走る企業が出てきかねない。
某プロ経営者が語っていた。「働き方を変えて残業を減らせ」、「減った残業料は社員への給与増に使え」と。
経営者に必要なのは、賃金などの単純な経費カットの発想ではない。「無駄な事業がないのか」、「無駄な事業に投入していた資金や社員を、発展する事業に振り向けよう」、「社員に喜んで働いてもらうようにしよう」との、大局的かつ能動的な発想である。もちろん経費カットをともなうこともあるだろう。でも、その経費カットの号令は係長の担当である。社長や経営陣の担当ではないし、そんな経費カットの号令のためだけに、社長に高い給与を払っているわけでない。
実際は、そんな係長程度の仕事しかしない(できない)大企業の経営者が多すぎた。だから、日本全体が相対的に貧乏になったと断じていい。
追記:ショージ君、正しくは「ウンコは自宅で」らしい。
2020/07/04