川北英隆のブログ

インターネットのウイルス

我々はインターネットの恩恵に浴している。僕自身、ネットは外部記憶装置である。固有名詞がわからなくても、適当に関連情報を入力すれば、正解に行き着くことが多い。とはいえ、客観的事実はともかく、主観(意見)の入った情報は要注意である。
僕がインターネットを使う時、意見は参考にしない。閲覧したサイトに事実と意見が混じっている場合、事実は読むが、意見は「そういう推論もあるのかな」程度にしている。というか読み飛ばすことが大半である。
この点で一番問題が多いのはSNSだろうと思っている。僕はSNSをめったに使わないし見ない(一応アカウントはある)。そんな意見の塊を見たところで何の意味もない。かえって事実が見えなくなると思っている。その上、時間も必要だ。
まあ、このブログにも意見が混在しているのだが、ほとんど事実で構成しているものも混ぜている。
事実の記述が皆無の意見は、ある意味で空理空論である。そして、SNSの文字数制限の中で事実だけを述べても、人気を得ることはできないだろう。
人は活字をありがたがり、奉る。手書きのものは私的、活字のものは公的との先入観が強いのかもしれない。インターネットの時代、ほぼすべてが活字になった。このため、インターネットの情報をありがたがるのだろう。
いつも書いているが、活字情報の典型である新聞でさえ怪しい。多くの記事は事実が占めるのだが、どの事実をどのように取り上げるのかは記者と新聞社の判断である。どうしてもバイアスがかかる。赤旗と日経新聞の関係を思い浮かべればいい。
また新聞などのメディアが報じた場合、ニュース(新聞)ではなく、旧聞に属す事実も多い。株式投資では、そんな旧聞に飛びついたなら、たちまち損をするだろう。つまり、しっかりと自分自身で考え、記事にある事実を咀嚼し、評価しなければならない。
インターネットの場合、悪意(騙してやろう、人気を偏らせようなどの意図)が働きやすい。そこまでの悪意がなくても、偏ったコマーシャル(中立を装いながら、その実はコマーシャル)的な情報も多い。このサイトの運営者は誰かとか、何か意図や仕掛けがあるのではとか、常に確たる事実と照らし合わせながら、インターネットにある特定の情報を信じるのかどうかを判断していかなければならない。一種のウイルス対策かも。
実のところ、情報が来るたびに判断するのは面倒である。時間がかかる。人生がいくつあっても足りない。というので、僕はSNSをはじめ、最初からほぼ無視する情報を(無意識かも知れないが)決めている。これなら、ゆとりある時間や時間を過ごせるだろう。

2020/08/04


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