昨日の日経新聞の経済教室に「大学入試の意味を問う」との意見が掲載されていた。「インターネットで検索すればすぐに判明する知識を入試で問うことにどれだけの意味があるのかと」の意見である。正論である。もっとも、教育の課題はそれだけに留まらない。
大学の入試もそうだし、入学後にバイトに明け暮れても卒業できる(正確には、お達しがあるので卒業させざるをえない)。この状況も情けなすぎる。
大学だけではなく、義務教育もまた、コロナによって大いなる欠陥を露呈した。言わずと知れたデジタル化への大いなる遅れである。未だに検定教科書という紙媒体を使っている(ほぼ紙媒体しかないこと)ことに尽きる。
国語は紙媒体中心で仕方ないと思う。読む、書くは紙媒体を使わないと頭に入らないだろう。僕自身、ワープロやパソコンで書くようになってから、漢字が出てこなくなった(老化だと言われそうだが)。もちろん、国語といえども、副教材としてデジタル媒体の活用は考えていい。とくに、話す能力では活用できそうだ。
しかし、それ以外は紙媒体よりもデジタル媒体の方が優れていると思う。国語の能力が備わっていると別だが、それが備わっていないと、ビデオを含めたデジタル媒体で説明してもらう方がはるかに効率的である。生物や植物の図示、地図や工場の説明、計算方法の説明など、紙媒体では限界があるが、デジタル媒体を使えば容易である。この場合、紙媒体は補助教材となろう。
同時に、デジタル媒体は教育水準の平準化に役立つ。
先生によって科目に得手不得手があって当然である。紙媒体の教科書だけでは先生の得手不得手を補うのは難しい。それがデジタル媒体に代わり、教科書として配布され、そこで基本的なことを教えることになればどうだろうか。都市でも分校でも、教育の平準化に役立つ。生徒も繰り返し見ることができる。さらに国もしくは先生が補助教材をデジタル形態で用意すれば、もう少し高いレベルをと思った生徒を、高みに押し上げることも可能となる。
日本の社会で遅れた分野はどこかと問われれば、真っ先に思い浮かぶのは農業と教育である。管轄の役所は農林水産省と文部科学省である。前例の踏襲というか、それへの拘泥ではなく、デジタル化の時代にふさわしい発想を持ち、一大改革に向かって奮起してほしいものだ。応援して止まない。
2020/08/26