川北英隆のブログ

三菱自動車とは何だったのか

三菱自動車の益子氏が死去したと報じられた。71歳、僕より2つ学年が上。同社の社長、会長を歴任した。三菱商事から2004年に派遣され、当時リコール隠しで大揺れだった三菱自動車の立て直しに奔走したとされる。その苦労が寿命を大きく縮めたのだろう。
三菱自動車、そもそもは三菱重工と同根の名門である。リコール問題で経営が揺れた時、三菱グループの三菱重工業、三菱商事、東京三菱銀行(現三菱UFJ銀行)が総力をあげて経営を支え、経営トップとして送り込まれたのが益子氏だった。
その後はどうなったのか。先進国での自動車産業は成熟段階に達し、発展途上国への展開、排ガス問題など、資本力がなければ生き残れない状況に突入した。そんな中、ブランドに傷が付き、資本力を使い果たしたのが三菱自動車である。「スリーダイヤが目に入らないか」と見栄を切ったところで、日本でも怪しいから、世界に通用するはずがない。
2016年に日産自動車の傘下に入ったが、その日産もゴーン氏問題に直面してしまった。不運と言えばそれまでだが、そもそも三菱自動車の名前を残す必要があったのかと、疑問に思う。
確かに三菱自動車のパジェロはいい車だった。ニッセイの研究所時代、同僚にパジェロを運転してもらい、何回か森林の調査のため山に入った。
パジェロミニを入手し、それを自分で運転して山行に使おうかと、少しだけ本気で考えたことも思い出した。実は運転免許歴は50年近いし、ゴールド免許だし。って、運転してないだけか。
三菱グループとして、三菱を冠した企業を見殺しにできなかったのだろう。このウェットさが日本企業や日本社会の最大の欠陥だと思う。会社は道具でしかない。上手に使い、ユーザーや従業員を幸せにし、ついでに株主も幸せにすればいい。値打ちがなくなれば(幸せを生み出すことが難しくなれば)、その企業をさっさとたためばいいし、売りに出してもいい。このドライさが日本社会に欠けている。
現実はと言うと、その道具であるべき企業に送り込まれ、自分の命をすり減らして企業の再生に奮闘し、その甲斐もなく死去したのが益子氏ではなかったのか。面識は一切なかったし、三菱自動車を知ろうという意欲も、パジェロミニへの関心がなくなったのと同時に、20年少し前に消えた。このため、以上に書いたのは単純な感想の域を出ない。

2020/09/01


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