京都駅を6時半頃に発つ電車に乗った。東海道本線の米原の先、長浜で乗り換えれば北陸本線の余呉に8時15分に着く。「早朝だから空いているだろう」と思ったのは間違い、6時台の東海道本線は電車の数が少ないため、しかも中高生が真面目なのか、混んでいた。
とはいえ、彦根を過ぎると空いてきて、のんびりとした旅行気分になる。長浜から先、基本は1時間に1本しか電車が走らない。かつて、長浜から余呉付近まで、さらに敦賀まで、戦国時代の武将達がまさに血みどろの戦いを繰り広げた地域とは思えない。経済的地位の没落とともに、平和な、自然豊かな地域となっている。
余呉の駅も、そんな平和な一角にある。駅から南に進み、車道を東に向かう。正面に目指す稜線がまずまずの高さで連なる。村に入り、道標に従って稜線を登り始める。変な組み合わせだが、すぐに神社と鐘楼があり、尾根道に続く。広いハイキングコースである。杉林もあるが、クヌギ類の林もあり、道にはドングリやヤマグリがたくさん落ちている。
途中、中川清秀の墓がある。賤ヶ岳の戦いで秀吉に味方し、戦死したとある。その墓のあるピークと、隣の同じくらいの高さのピークのどちらかが大岩山(280メートル)である。標識は見当たらなかった。
その先、多少のアップダウンがある。269.7メートルの三角点を過ぎ、349メートルの標高点まで上がると余呉湖が木の間から見える。尾根道は西に折れ、クヌギ類の雑木林の中を少し急登すると、あっさりと賤ヶ岳(421メートル)の山頂に着く。
山頂は四囲の木々が払われ、展望台となっている。余呉湖はもちろん、琵琶湖、山本山への尾根、伊吹とその北側の峰々の展望がすばらしい。これも、賤ヶ岳が余呉湖と琵琶湖の境に位置するからである。
もっとも、賤ヶ岳のすぐ下まで東側からロープウェイが付けられているので、平日とはいえ登山者が多い。これからの紅葉シーズンにはかなり混むだろう。
写真は賤ヶ岳からの余呉湖である。その先の山並みは敦賀から福井方面にかけての国境である。賤ヶ岳の戦いでは、柴田勝家の軍勢がこの山並みを越えて近江にやってきた。
2020/09/30