川北英隆のブログ

日本の農業が消える

多くの東京人や大阪人にとって、地方の荒廃を知ることは難しい。親が地方に住んでいるのなら、帰省時くらいか。京都市内の場合、観光エリア以外を歩くと荒廃が少し分かる。もっといいのは山に行くことだろう。田畑がどうなるのかと、本当に心配になる。
親戚は農家をしている。奈良盆地での農家だから、コメ以外に野菜や果物も作っている。さすがに鶏や牛を飼うことはなくなったが、昔はそういうのもやっていた。いずれにしても大都市近郊の農業だから、それなりの収入がある。食べるには十分だろう。農閑期にはバイトもできる。
その親戚の農家だが、多分、叔父や従兄弟の代で終わるのではないかと予想している。
仕事としてきつい。ある程度機械化が進んでいるとはいえ、足腰を使わないといけない作業が残っている。とくに、日本のように耕作地が狭いと、どうしてもそうなる。それがやがて足腰の痛みとなりかねない。
それに格好が良くない。家庭菜園でさえ、こってり化粧をし、いい服を着てなんて夢物語である。ましてや食べていくための農家であれば、日焼けは当然で、年齢とともにシワやシミが一気に出てくる。僕自身、趣味で(かつて、本業だと嘯いていたのだが)山歩きをするだけでも、シミが酷い。
親戚のある村でもそうだし、元農家だった友人の実家もそうなのだが、耕作を親戚や知り合いに任せる状態が生じている。相続になれば、「畑があるのやけど、1つ引き取ってくれて、果物でも作らへん」と提案されたりする。誰も引き受け手がいなければ、ババ/ジジ抜きゲームではないが、くじ引きで引き受け手を見つけることになるらしい。
農地が平地にあればまだしも、それが丘陵や山間部にあるとますます大変である。新幹線から外を眺めていると、平野部であっても草地になった田畑が多い。少し狭い田畑になると、完全に放置されている。先日歩いた滋賀の奥地では、元の田畑を潰して杉を植えている。
そもそも、農業を続けたくても、農家と聞くだけで嫁の候補が一気に尻込みするのが現実ではないのか。ましてや山間部なんて、誰も行きたがらないように思う。というのも山間部では、(比較的を含め)若い女性なんて見かけたことがないから。このため、農村部、山間部の農業の後継者は絶滅危惧種である。
さらに言おう。サラリーマンをしていて、親が亡くなり、かなりの農地を相続したとする。それならと、嫌な上司と顔を合わさなくてすむこともあり、農業に転じる決心をする。この時、新たな難題出現である。何かと言えば、嫁が「離婚させてもらいます」となる可能性大だから。実は、その実例を知っている。
元農家の友人に言わせると、大規模化を図ってこなかった政府の失政だとなる。企業でも何でもいいから呼んで来て、工業化、機械化すべきである。農家は、その工業化された農業のコンサルをすればいい。技術職である。海外から労働者を移民まがいに呼んで来ようなんて、ケチで姑息で前近代的な政策しか打ち出せないから、農家自体が消滅していく。
農地が荒れると、農村の人口が減り、老齢化する。と、シカ、イノシシ、サル、クマが喜ぶ。丘陵地帯にある農地には電線が張り巡らされている。丘に登るには獣避けをくぐらなければならない。そんな現実を政府は、農水省はどう見ているのだろうか。あまり知らない可能性だってある。
ついでに書けば、日本から農業が消えると、食糧問題が生じかねない。今の日本、サケに代表されるように、魚の輸入で競り負けつつある。日本の価格水準では買えないのである。それと同じことがコメなどで起こりかねない。
アフリカに経済力が付けば大量に食料を輸入するだろう。コメの値段が釣り上がり、日本が競り負けるかもしれない。僕が生きているうちには起きないだろうが、今の子供の世代としてはその悲惨な状況を心配しておくべきだと思っている。

2020/10/30


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