川北英隆のブログ

阿弥陀山から安曇川駅へ

阿弥陀山の山頂は3人の先着者に占拠され、混み合っていた。前回の横山岳と同じである。琵琶湖の展望を少し楽しんだ後、早々に三角点から伸びる南尾根を下った。
この道はメインルートであるだけに、緩やかであり、手入れもよくされている。途中、木馬跡がある。里に近いから木を切り出したのだろう。
ほぼ尾根沿いに下り、338メートルの標高点を越す。その後、少し下りが急になる。それもつかの間、標高275メートルの鞍部に着く。西の沢から破線路が伸びてきている付近である。
ここに太山寺跡(城跡)への標識がある。乗り合いタクシーの時刻まで余裕があったので、城跡を見ることにした。分岐を右(西)に折れる。下りてきた尾根を巻くようにして沢に出る。阿弥陀山からの沢である。沢に出た地点はシダ類の多い草地になっていて、案内板が設けられている。
案内板に従い、沢を木製の橋で渡り、右岸を巻き気味に登って尾根の上に着く。いくつか平らな場所がある。坊の跡である。一番高い位置の平坦地が本堂跡だとか。調査によると、城として改修された可能性があるとも。
ヒノキの植林の中であり、平らな部分にも植わっている。太山寺は聖徳太子の創建と伝えられている。真偽はともかく、古くから信仰の対象だったようだ。寺というか城というか、織田信長によって焼き討ちされたらしい。アベマキが立つ小谷城址といい、時の流れがある。
分岐に戻る。途中、沢を渡った案内板の箇所で間違えた。沢沿いの広い道を下ってしまったのだが、すぐにススキが背丈ほどに茂っている箇所に出くわし、間違いに気づいた。案内板の手前まで戻り、草地の中に尾根へと続く道を見つけ、分岐に戻れた。
分岐から少し登り気味に南に進むと分岐があり、左に折れる。谷沿いの緩い下りである。
これで一安心、1時間に1本の乗り合いタクシーに間に合う。予定していた13.59分発のおおよそ30分前だったので、タクシー会社に電話した。と、姉ちゃんが出てきて、そのタクシーは13.05分に申込みを締め切ったという。「行きに乗った運転手に30前に電話しろと言われたのやけど」と伝えたが、「バス停」の時刻表の横に締め切り時間が書いてあると言う。「1時間後のなら予約できるが」と言ってくれたが、それなら歩いたほうが早い。結局、断った。
すぐに登山口に戻る。横に太子堂跡がある。今は何もないが、聖徳太子絵伝(えでん)が伝わり、太子堂跡のある中野地区の民家が保存しているという。今は龍谷大の博物館「龍谷ミュージアム」に寄託されている。絵伝の最後には太山寺創建の場面が描かれているらしい。
http://www.asahi.com/travel/aviation/OSK201201270170.html
登山口に戻るまで、2時間だった。
登山口から「バス停」に戻る。確かに、13.05分に予約締め切りとある。村を出て、車道を真東に歩く。中野地区は台地状になっている。振り返ると、これも山頂部が平らな阿弥陀山が大きい。平らな山頂部の上に阿弥陀様が姿を現し、極楽浄土に導いてくれたのだろう。阿弥陀山の左奥に蛇谷ヶ峰の大きな姿が見える。それが阿弥陀様なのかも。
中野地区の台地から琵琶湖西岸の平地に下り、さらに東に向かい、最後に南に折れると安曇川駅がすぐである。分岐から1時間だった。残念ながら(駅の手前で発車時間を調べたこともあり)、京都方面の電車が出てしまった後だった。駅で40分程度待った。
写真は中野地区からの阿弥陀山、左奥は蛇谷ヶ峰である。下は登山口近くのマムシソウとリンドウである。
20201107蛇谷と阿弥陀.jpg

20201107阿弥陀山の花.jpg

2020/11/07


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