芋ヶ峠も吉野へ越すための重要な峠だった。峠には、犬養孝「万葉の旅」の芋ヶ峠に関する一文、「古道芋峠」が掲げられている。M君が言うには、中学校の時(だったか)、文庫本で見たとか。橿原から吉野に通じる鉄路(現在の近鉄)が引かれて、芋ヶ峠は役割を終えた。
峠越えの道だが、少し休んでいるうちに、2台だったか、車が越えていった。我々も車道を横切り、峠を越えた。
実のところ、縦走路は峠のほんの少し下、北側を横切っている。本当の峠からは林道が南西に伸びている。この車道としばらく付き合うことになるとは、地図をよく見れば明白なのだが、歩き始めた時には気づかなかった。
縦走路は下りてきた地点の向かいから続いている。最初は稜線をほぼ忠実にたどる。左手に植林、右手に広葉樹林が多かった。あまり踏まれていないようで(林道を歩く者が多いのだろうか)、落ち葉が踏みしだかれていない。時々、左手下に林道が見える。所々から大峰の主峰、弥山方面が見え、感動ものである。
600メートルのピークの北側を巻き、林道と合流する。596メートルの三角点のすぐ東側である。高取城址への道標は林道を歩くようにとなっているが、三角点を踏むため、林道から離れて稜線を登った。踏み跡は明瞭であり、三角点とその南西の600メートルのピーク(先に書いたピークとは別)の鞍部に上がる。南側の広葉樹林では紅葉した木が何本かあった。
鞍部から、右側のピークに進むと、すぐに三角点がある。展望も、ピーク名もなかった。鞍部に戻り、600メートルのピークを越えて北西に進む。明瞭な踏み跡はピークを巻くように付いていた。
下ると林道に合流する。その後は林道を歩き、次の580メートルのピークを越える。少し下った箇所で、林道は北の谷側に折れていた。多分、林道の終点だろう。
再び稜線上の山道になる。広葉樹林とモミの木が目立ってくる。大木も多いのだが、カシ類はカシノナガキクイムシにやられたのか、切り倒された大木が何本もあった。
次の鞍部に石垣がある。高取城址の領域に入ったわけだ。560メートルのピークを巻きつつ、道は北に折れ、吉野口門跡を過ぎ、高取城址の核心部に入っていく。井戸の跡にも石組みが残されている。
後は道標に従い、大手門跡を越し、本丸跡に登っていく。本丸の一角、天守跡には三角点があり、高取山の山頂となっている。
山頂付近は紅葉がかなり進んでいて、杉の緑とのコントラストが良かった。本丸の周辺から、西には金剛、葛城、南には大峰の展望がある。今回、高取山山頂は3回目なのだが、展望のいい山であることを初めて知った。
上の写真は芋ヶ峠からの縦走路で最初に出会う高取城址の石垣である。下は本丸跡である。
2020/11/13