今日の日経の最終面、坂井修一氏のコラム「うたごごろは科学する」は興味深かった。文明は進歩するが、芸術(文化)は進歩せず変化するだけと述べている。まさにそうである。もっと言えば、自然も変化するが、進歩という概念から超越している。
文化に戻ると、時代から時代へと為政者は変わっていくが、彼/彼女らには「文化は進歩しない」ことが理解できていない。為政者にとっての文化とは、歴史に登場して消えていった過去の為政者の遺産でしかなく、時には目障りである。だから、できればこの世から抹消したいとの強い欲求というかエゴというか保身的発想が生じる。
現在もその欲求が続き、アフガニスタンのバーミヤン石窟が破壊された。シリアのパルミラ遺跡もそうである。イスラム原理主義的な世界だけではなく、西側諸国の空爆が文化的な遺産を破壊することも数多い。
振り返れば、日本でも同じことが起きている。明治の廃仏毀釈がその代表である。また、安土桃山時代から徳川時代にかけて、多くの仏教施設や城が敵の拠点として使われてきたことから、破壊された。
なかでも、明治時代に入り、江戸時代の城が組織的に破壊されたのは非常に残念である。明治政府によって、58の城を残し、144の城を廃棄する決定が下された。奈良県では、高取城も郡山城も取り壊しとなった。明治政府に対する反乱軍が出現し、彼らが城を根拠とすることを恐れたのだろうか。また、残された58の城の多くも第二次世界大戦で失われた。
郡山城の写真を探したが、見つからなかった。1858年に火災が生じ、建物の多くが焼失し、再建途中で明治維新(1868年)を迎えたためらしい。
https://www.city.yamatokoriyama.nara.jp/rekisi/src/history_data/h_026.html
その代わり、奈良産業大学がCGを用いて再現活動をしたとかで、その画像が出てきた。城の全貌ではなく一部だけなのか、あまり冴えない姿である。
https://core.ac.uk/download/pdf/72754804.pdf
これに対して高取城は、昨日アップした姿(絵)からイメージできるように、現存していれば国宝級である。第二次世界大戦においても、山中に軍事施設はほぼないから、かなりの確率で爆撃から免れただろう。返す返すも惜しい。
高取城はともかく、山歩きのために各地を訪れると、手入れの行き届かない寺社や民家が目立つ。だが、それらは日本の文化遺産である。多様な文化が日本に生まれたことを記憶に留め、将来の文化の糧とするため、その手入れと修復に予算を注ぎ込むことが求められる。廃仏毀釈や廃城を教訓とすれば、文化を大切にすることの重要性が理解されて当然である。
母親の実家の向かいに善福寺という寺がある。その寺の仏像は重要文化財なのだが、建物が老朽化したとかで、改築工事が行われ、同時に仏像の傷みの修復作業が行われた。国(文化庁)からの補助が出たのだが、その補助だけでは足りないため、村で寄付が募られた。
とはいえ、村民の老齢化が進んでいる。農業が主要な仕事であるため、若者は村を離れつつある。このため十分な寄付が集まらず、村外の関係者にも寄付の依頼がされ、僕にも連絡が来た。僕自身、村で生まれたわけでもなく、住んだこともない。しかし、母親が里帰りする時に一緒に行き、寺でも遊んだ。仕方ないと、少しだけだが寄付をした。
重要文化財でさえ以上が実態だから、指定されていない文化財はどうなるのかは明白である。京都の中心部にあり、多少名のある下御霊神社の塀や建物でさえ傷みが激しい。今年、お参りした時に500円を賽銭としたが、ほぼ何の役にも立たないだろう。政府の認識を促すのが近道だと思うのだが、願いがどこまで叶うのだろうか。
2020/11/15