日経新聞「私の履歴書」に今月登場している小宮山宏氏(元東大総長)が書くには、彼の最近の関心事項と仕事は「プラチナ社会の実現」だそうだ。要するに「老人が一生を通じて成長し、働く」社会の実現であるらしい。これに対していくつかの疑問がある。
僕自身、世間的には(「実質的にもや」との声が聞こえるが)、老人に片足を突っ込んでいる。だから、老人に関しての差別とは無縁、自由に書ける。以下、その言葉である。
1つに、老人が働くこととは何なのか。よく考えなければいけない。
僕自身はできれば働きたくないと考えている。好きなことに時間を費やすのが豊かな生活ではないのか。多分(多分って失礼かな)、小宮山さんには能力があり、趣味と働くこと(すなわち大学や研究所で働くこと)とが一致していたから、「老人として働くこと、働けること=プラチナのような落ち着いた輝き」と感じたのかもしれない。だが、普通の老人はそうはいかない。
このことは少し(数歳)若い友人との話題にもつながる。彼は私立大学の教員であり、70歳まで働けるらしい。彼と意見が一致しているのが、この「できれば働きたくない、勤務したくない」である。彼の大学には早期退職制度がないらしい。その制度があれば、(割増退職金をもらってだろうが)早々に退職するとのことである。
2つに、政府が老人を働かせたいのは、老人を労働力とすることで、日本国内の生産量が上がる、それにより年金財政が助かると考えているからである。要するにロボットと同一視されているように思えてしまう。
もちろん、小宮山さんが目指しているように、老人がロボットだとしても、少しは成長するのなら考え方を変えないといけないだろうが、老人は本当に成長するのだろうか。これについても、先の友人との話題を紹介しておくと、「最近は少しボケてきた」、「物忘れが出てきた」、「でも、このことを自覚しないよりはまし」である。
(コロナ以降行かなくなったが)銀行の窓口、病院の窓口や診療所、店のレジで「老人が邪魔」と感じたことはないだろうか。サラリーマンをやっていた昔、定年間近(50代後半の)の男性が、どのボタンを押そうかと迷いながらコピー機を使った後に並んでしまい、「何とかしたれや」と思ったものである。ましてや、60代、70代の老人に仕事をしてもらうと、かえって迷惑になる。
そうそう、老人性のボケ、物忘れに加えて、頑固というのもある。この頑固が加わればとんでもないことになる。「一つ教えとこうか」なんて、延々と説教されかねない。
3つに、企業は政府の政策に乗り、老人を「枯れ木も山の賑わい」とばかりに使っていることの弊害である。老人を非正規雇用者として安く使えるからでもある。
このおかげで、若者の賃金が上がりにくい。また、本来進めるべき省力化、自動化、デジタル化を企業が進めようとはしない。とりあえず、老人を使えばある程度の仕事が片付くからである。その老人にデジタル化の一翼を担わせようとするのなら(たとえば特定のデータを入力させようとするのなら)、大騒動になるだろうから、ますます日本企業の情報化が遅れてしまう。
4つに、元に戻ることになるが、多くの老人が成長のために勉強したいと思うのは仕事ではなく、趣味の分野だろう。もちろん趣味の世界においても、客観的に評価して成長しているのかは疑問だが。でも、好きなことに時間を使い、頭を含めた身体の健康維持を図るのはいいことである。趣味だから、他人に迷惑をかけることも少ない。
政府としては、老人の健康維持のために何ができるのかを考えるべきだろう。当然、小宮山さんも考えてほしい。
2020/11/29