川北英隆のブログ

環境=Eと社会性=Sの矛盾

ESG(E=環境、S=社会性、G=企業統治)に投資家が注目し、力を注いでいる。企業もこのESGに逆らえないようだ。「石炭火力発電禁止」が象徴的である。しかし、大きな疑問がある。この石炭火力からの離脱、Eはともかく、Sの観点からはどうなのか。
僕自身の立場を明確にしておきたい。
環境に関して25年以上前から研究し、観察してきた。屋久島と白神が世界自然遺産に登録される直前に調査して報告書を書いた。森林の役割と、それへの対価の支払いに関しても、論稿を雑誌に掲載した。最近では、日本の文化に関して、寺社などの文化遺産や中山間地の滅びを防ぎたいと考え、この点を対外的に訴えている。
この立場から見て、石炭火力発電の禁止はヨーロッパのエゴあり、Sに反しているとしか思えない。アメリカも、大統領がバイデンになれば、多分ヨーロッパと同じスタンスになる可能性が高い。
では、石炭火力発電の禁止のどこがヨーロッパのエゴであり、Sに反するのか。
簡単である。産業革命以降、ヨーロッパというか欧米は石炭で発展してきた。石炭が常に、産業発展のためのエネルギーの中心に位置づけられていた。そうであるのに、風力を中心とするエネルギーの獲得に成功し、それが石炭を代替できると確認するやいなや、石炭禁止を打ち出したのである。
石炭利用によって、二酸化炭素をはじめとする環境に有害な物質が大量に排出されるのは確かである。一方で石炭は安いし、その有害な物質の排出を抑制する技術も進歩している。発展途上国にとって、石炭の魅力度は落ちていない。
ヨーロッパが石炭の利得をさんざん味わってきたのに、(潜在的にだが)発展途上国を標的として、いきなり禁止はないだろうと思える。禁止するのが地球環境のためと言うのなら、ヨーロッパが石炭利用によって得てきた利得を、発展途上国のために供出するのが筋ではないのか。その上で、石炭禁止を主張するのなら、「さすが大人の国々」となる。
現実はといえば、今のヨーロッパはそうでない。禁止は禁止、絶対禁止という態度である。風力発電に関した蓄えた技術で、これから「大いに儲けよう」との魂胆が透けて見えるように思える。
以上からヨーロッパが主張している石炭禁止は、Eにはプラスだが、グローバルな観点からのSには大いにマイナスである。そんなヨーロッパの主張に安易に同調したのなら、同調者の見識が疑われる。「石炭禁止には賛成だが、発展途上国のエネルギー問題にどのように責任を果たせばいいのか、果たすべきか」という議論を、ヨーロッパに向けるべきである。
この点で喩えられるのが捕鯨である。欧米(欧州のメインとアメリカ)はさんざん鯨を殺し、その油を灯りに使った。石油の採掘が始まり、鯨油の必要性がなくなると、「鯨がかわいそう」だとして、捕鯨の全面禁止を提唱した。
イメージしてみると、欧米の捕鯨は、肉を捨てていたのだろう。この点、日本の捕鯨は(北欧はよく知らないが)鯨をすべて利用してきた。ある意味でEであってきたのに、それでも欧米から「絶対に捕るな」と半ば命じられている。これこそ、欧米のエゴである。それと同じことが石炭でも起きようとしている。
以上、ESGには大いに賛成する僕として、現時点でのESGの流れには与したくない。付和雷同であり、深く考えずに流れに流されているだけである。大きな落とし穴があると思っている。

2020/12/14


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