京都から、東海道本線の草津で草津線に乗り換える。僕が乗った列車は8両編成で、田舎の線にしては長い。ただし、柘植まで行くのは前の4両で、後ろの4量は途中の貴生川で切り離される。柘植で関西本線に乗り換えたが、何と、草津線よりも田舎の線路だった。
草津線、草津から柘植まで、36.7キロしかない。旧東海道の宿場町の水口、甲賀の里の中心部を通っている。そういえば柘植も、柘植なんちゃらという忍者がいたと思う。
その草津線、忍者列車(列車の絵柄だけだが)も走っている。朝は高校生が通学に使っていて、滋賀から山越えして三重側(多分、亀山か)に通う生徒もいた。ご苦労はん。
一方の関西本線、本線とは名ばかりで、加茂(京都)から亀山(三重)までは単線の上、ディーゼルの2両編成かつワンマンである。
この認識違いのため、事件が起きた。関という有名な宿場町の、しかも関西本線の駅だからICカードが当然使えると思って列車を降りたところ、タッチする機械がない。慌てて電車を振り返ると、運転手がこちらを見て手を振った。結果は、降りた証明書を発行するので、次に乗車する駅でICカードの記録を消してもらうようにとのことだった。この事件は続くのだが、これは最終回(なんのこっちゃ?)で。
駅から北に坂を上がる。駅は川(加太川)の近くに、街道は河岸の上にという配置である。上がり切ると旧東海道であり、関宿の中心部である。
知らなかったのだが、関は3つの街道(大和街道、東海道、伊勢街道)の分岐点だったそうだ。今でも、大和街道は関西本線、東海道は草津線、伊勢街道は少し東に位置するが亀山からの紀勢本線に名残がある。また、奈良方面に通じる国道25号線は関の西側で国道1号線から分岐している。
関宿の家並みは比較的綺麗に残っている。1980年に「関町関宿伝統的建造物群保存条例」が制定され、84年に国の「重要伝統的建造物保存地区」に選定されたおかげだろう。その割には、朝早かった(9時頃)せいもあり、猫一匹歩いていなかった。そんな家並みの中に「川北本陣跡」との石碑を見つけた。三重には川北姓がやはり多いのだと、妙に少しだけ感動した。
宿場の家並みを西に抜け、25号線を分けるほんの少し手前の1号線を(横断橋を無視して)適当に渡り、地形図にある南向きの短い実線路に入った。その終点は企業(山崎製パン)の広い駐車場のようだった。探すと、駐車場の先の森の入口に「城山登り口」の古びた標識がある。
標識から続く薄い踏み跡をたどる。テープもあるので、探しながら歩く。テープがなければ城山の北西斜面を藪こぎしてもいいくらいの距離である。
それはともかく、左手に小ピークを見ながら踏み跡が続く。最後に右手に少し急登し、山頂に着いた。植林と広葉樹が入り混じっていた。落葉した木の間から鈴鹿の一部が見える。この城山、新所城(しんじょじょう)跡との名前がある。城跡の趣味がないので、下りは往路を戻った。付近には石垣や切堀の跡が残っているらしい。頂上付近には踏み跡が何本かあった。
写真は、上が関宿の川北本陣跡の石碑、下が城山の頂上である。
2020/12/04