京都市営地下鉄の石田駅で降りる。日の出の直後だった。通勤客の駅への流れに逆行して歩くのが申し訳ない。石田駅から供水峠へは東南東にほぼ真っすぐである。日野からは先は1ヶ月前に歩いただけである。
今回は方丈石を経由せずに(1回で十分だろうと)登った。その方丈石経由の道が合流する場所で上着を脱いでいると、老人が2人上がってきた。散歩コースになっているのかもれない。
その上部にいたスズメバチは活動を停止していた。峠の手前で供水(こうすい)を汲もうと思ったのだが、チョロチョロとしか流れていなかった。晴天続きだったからだろう。とすれば、湧き水の水源は浅く、あまり綺麗でない(十分濾過されていない)可能性がある。もっとも、水源である日野山への登山者は多くない。昔、エビアンの水源のある3000メートルの山(Mont Buet)の頂上直下で小用を足したのを思い出した。
泉の水源、日野山に寄り道してもよかったのだが、先が長いことだし、供水峠での最後の紅葉だけを楽しみ、そのまま東へ、炭山(すみやま)を目指して下った。広い道である。供水峠越えが生活の一部になっていたことを物語っている。
峠から下ると、すぐに分岐がある。左が地形図に描かれた破線路だが、よく見ると入口に何本かの木が横たわっていて、道を塞いでいる。「入るな」「廃道」の印の可能性が高い。そう判断し、右の道をとった。依然として広い道だが、倒木が目立つようになる。かつての生活道路も車社会、老人社会になって使われなくなったのだろう。
道は供水峠のすぐ南のピークから伸びる尾根上をたどるようになる。道がなくなったとしても、強引に下ればいいから少し安心した。地形図の道は谷を下っているから、流された可能性が高い。
道は墨山の一番北側の集落に出る。その集落の手前で、地形図の道が合流してよさそうだった。注意しながら歩いたものの、合流してくる道(はっきりとした道)は見当たらなかった。やはり消滅したか、荒れ果てたのだろう。
川(志津川)を渡り、車道歩きになる。道の右が登るべき稜線なので、明瞭な登り口がないかどうか(あれば当初の計画を変更してもいいと)注意を払いながら歩く。
集落を外れ、鹿の群れ(といっても3頭)を見た。やはりこの付近でも鹿が増えているのだろう。
車道が舗装から地道になり、志津川が細い沢となって近づく。道が大きく時計回りに半円を描いた箇所を過ぎると、右手下に木の橋が見える。ヤマレコの地図で、何人かの足跡を確認しておいた尾根への取り付きである。グーグルマップには、その尾根上に「上醍醐寺行場」の表示もある。橋の先には踏み跡もありそうだったので、そこを登り口と定めた。
上の写真は供水峠の石仏、下は炭山の先で見かけた鹿である。
2020/12/11