赤尾の村落の対岸、忍阪(おつさか)に出た。この村が外鎌(とかま)山の登り口の1つである。調べたところでは、忍阪から外鎌山への、地形図に記されている破線路はあまり使われていない。天皇陵を経由し、南南東に伸びる尾根からの道が今のルートのようだった。
M君の希望で忍阪の神社(生根=いくね)神社に寄った後、谷沿いに舒明(きんめい)天皇陵、鏡女王(かがみのおおきみ)の墓、大伴皇女(おおとものひめみこ)の墓を訪ねる。鏡女王なんて、白雪姫に登場しそうだが。
大伴皇女墓を訪ねた後、一旦谷沿いの道に戻って山腹を歩くと、沢に丸太の橋がかかっている。これが外鎌山への登り口である。
振り返ると谷沿いに、かつて耕作されていただろう棚田が放棄されている。動物(イノシシ?)の足跡も残されている。棚田があると墓所としての風景にふさわしいのにと思うのだが、村が老人主体となり、耕作は無理なのだろう。
丸木の橋を渡り、ヒノキの植林の中に入る。整備されているが、急登である。西風が吹き、ヒノキの枯れた細かな葉が雪のように降ってくる。
稜線に着くと、東側の村落、竜谷への道を分ける。尾根を北北西に歩く。竹が尾根を越えて繁茂している箇所がある。最後に広葉樹の林を登れば外鎌山の山頂である。奈良盆地側の展望がいい。音羽山も木の間から見える。
展望を楽しみながら昼食にした。もっとも、風が冷たく、長居できない。
下りは北西、朝倉への道にした。広葉樹の中の急な下りだが、整備されている。途中、外鎌城跡の石組みというのがある。5合目の表示の箇所で朝倉台の住宅地に出る。
三輪山方面を見ながら、かつGPS見ながら、近鉄朝倉駅に出た。鳥見山から忍阪に出て2時間が経っていた。
写真、上が忍阪からの外鎌山、下が外鎌山の山頂である。
2020/12/16