川北英隆のブログ

甲賀と伊賀の境の過疎

笹ヶ岳から北東に丘陵地帯を抜け、甲賀と伊賀の境に入った。今回歩いた伊賀市の槙山地区には河合川が流れ、淀川の一大支流、木津川に注いでいる。甲賀の大部分が宇治川(琵琶湖)の上流部に位置するとすれば、伊賀は木津川の上流部に位置する。
何故、こんな小難しいことを書くのかといえば、岩尾山を目指して槙山地区というか河合川沿いに歩いていると、市名が甲賀から伊賀になり、また甲賀になりとややこしかったので、少し調べただけである。
本来、木津川の流域に属す河合川の上流部が甲賀と伊賀の境界になっていて、流れの南(つまり歩いてきた笹ヶ岳側)が甲賀、流れの北が伊賀になっている。こんな変則的なことが生じた理由は定かでない。かつての山林主の関係かもしれない。
それはともかく、槙山地区の政所に入り、どこから北側に見える岩尾山を目指そうかと思案した。登りたい山がすぐそこに見えているのに(しかも高度差200メートル少ししかないのに)、かなり遠回りしないと通常の道がなさそうだった。
実は政所から北に山越え(丘超え程度)すれば最短そうなのだが、地形図の道は破線路だし、参考にしたヤマレコにも歩いた記録がない。今回の長い道程からして、藪こぎはしたくなかった。
というので、少し遠回りながら安全策をとり、政所の1つ東の村、遊免(ゆうめん)から県道をたどり、岩尾山の登り口、大沢池の南端部に出ることとした。
岩尾山(471メートル)への登り口として選んだ大沢池の南端部はほぼ峠の上、標高290メートル地点である。甲賀と伊賀の境の峠でもある。
峠付近には境をまたいで人家があり、地形図では田や茶畑になっているのだが、現状は荒れ地しか目に入らなかった。何軒か住んでいそうだったが、廃屋もあった。周囲には池が点在し、東海自然歩道も通り、リクレーションに最適そうなのだが、過疎の流れには勝てないのか。
それに歩いていて目に付くのがゴミ類の多さである。車で来て、ペットボトル類をポイ捨てするのは「当たり前」、家電類も捨てられている。ペットボトル類を捨てるのは中国並み(かつてはそうで、今は知らない)。「家電類を捨てれば、監視カメラの普及している中国では牢獄行きやで」と思う。
岩尾山の登り口として選んだ峠だが、そこには政所からの最短と思える破線路が合流している地点のはずなのだが、ざっと見るかぎり明瞭な道はなかった。やはり藪こぎを強いられたかなと、変に納得した。過疎の地にあっては、かつての往来路も消え去るばかりなのかもしれない。
写真はその峠付近から見た岩尾山である。由緒ある寺が立地する山らしく、こんもりとした森が目立つ。ただし標高差は200メートルもない。そうそう、写真の手前の土地も耕作地だったように見える。しかし今は荒れ地でしかない。
20201231県境からの岩尾山.jpg

2020/12/31


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