峠の少し北側、左手に参拝路がある。といっても車道である。後で気づいたのだが、かつての参拝路はもう少し北側、今の大正池の辺りから登っていたようだ。
車道を登る。正月前とあって、近所の農家がウラジロなどの正月飾りを採りに来ていた。付近は山だらけのはずなのに、寺領として護られてきた山にしかない植物が、ここにはあるのだろう。
車道が急カーブする箇所(標高350メートル付近)に下から道が上がってきているのを確認しておいた。その先に「芭蕉句碑」とか「賽の河原」とかの表示がある。芭蕉の句は、「行く春を近江の人とをしみけり」らしい。とすれば、甲賀から登ってきたようだ。
「芭蕉句碑」の横には苔むした石段がある。かつての参拝路だろう。本堂近く、黒門に通じているらしい。
車道はそのすぐ上で駐車場になる。整備された石段を上ると、岩尾山息障(そくしょう)寺の本堂に着く。住職の家もあるが、今は無人の雰囲気だった。
西国八十八所巡りは本堂に向かって左手から。右手には釣鐘堂があり、その横から石段が奥の院へと続いている。釣鐘堂の横に磨崖仏(地蔵菩薩)があるのだが、その上の雨避けが崩れ落ちていた。石段は修理したらしいのだが、傾いていて、老人(僕のことかいな)には危ない。奥の院には不動明王の磨崖仏がある。崩れやすいとかで、大きな鉄の網がかぶせてある。
この付近まで、大きな岩が続き、修験の場だった雰囲気が濃い。自然が豊かで、しかも文化的な遺産もある。それなのに住職が不在のようでは、自然や文化の管理が疎かになってしまう。大きな損失である。
それはともかく、奥の院のすぐ先に「お馬岩」、「木魚岩」があり、さらにその先で八十八所の巡礼道と合流する。合流して右手は展望台なので、左手に進む。小さなピーク付近に「岩尾山三角点」への標識があるので、それに従って巡礼道から右手に折れる。杉の多い林から広葉樹林に変わる。一旦下り、登り返すと岩尾山の三角点である。木の間から笹ヶ岳が大きかった。
頂上付近にも大きな岩が点在している。その1つに腰掛け、昼食にしつつ、どう下山するのか考えた。参考にしたネットのガイドには、頂上から東尾根を下るルートが紹介されていた。ただし「道はない」とある。
とはいえ、「同じ道を戻るのも芸がない」し、ガイドとして紹介してあるからには踏み跡くらいはあるのだろうと、東尾根を下りることにしたのだが、出だしはともかく、すぐに踏み跡がなくなった。それでもと、少し偵察してみたのだが、灌木が多くて歩きづらい。高度差150メートル、強引に藪こぎして下れないこともないが、時間がかかると判断し、諦めた。
同じ道を境内経由、車道の急カーブの箇所まで戻り、そこから車道を離れ、左手の谷に入った。かつての参拝路らしく、荒れてはいるが広い道が大沢池まで続いていた。
大沢池で県道に出る。次の池、岩尾池で「岩尾池の大杉」を道路から遠望する。後は延々車道を歩き、草津線の甲南駅に出た。途中で見た岩附神社(甲南町磯尾)の大杉も良かったし、駅の手前では雪を被った鈴鹿から伊吹付近の山並みも見えた。
それにしても、岩尾山の息障寺との寺名は何なのだろう。障害を防ぐとの意味(息災と同義)だろうが、息の障害とも読める。コロナの今年を締めるにふさわしい山だったのか。祈ってきたから、厄落としになったような。
上の写真は磨崖仏の地蔵菩薩、下は不動明王(線刻なので見えにくい)である。南無。
2020/12/31