僕として考えてみれば(「考えんでもええやろ」というとこだが)、昨年が満での古希(普通は数えやで)、今年は古希を通過してしまう。昨年の賀状を整理していると、「年賀状を止めます」と書いてあるのも多かった。そこで賀状のあり方を考えることにした。
実は昨年からメールベースの賀状も使い始めている。そういう賀状も多くなってきていたから。しかも、友人とメールで情報交換していると、年末になって「今年かぎりで年賀状を廃止する」と伝えてきた。そこで、僕もそうするかと決断した。
ということで、賀状を出している相手のメールアドレスを調べ、賀状用のアドレス帳を作った。しかし、すべての相手のメールアドレスが判るわけもない。それに形式的に賀状をやり取りしている相手もある。
以上から、今年は3種類の賀状を出した。
1つ目は、今までと同じ葉書ベースの賀状である。親戚関係が多い。インターネットなんてやりそうにない年寄りが多いこともある。
2つ目は「葉書ベースの賀状は今回かぎりです」という一言を入れた賀状である。ついでに僕のメールアドレスも強調しておいた。必要であれば連絡があるだろう。
3つ目はメールベースの賀状である。圧倒的にこの数が多くなった。来年用にアドレス帳を整理し、充実させていくことになる。
思うに、Zoomなどを使えば遠くの相手と「会う」こともできる。仕事がオンラインになったから、年始の挨拶もオンラインでいいかもしれない。少なくともメールが便利である。
相手のメール賀状に対しての返事も簡単である。たとえば「一度会いたいね」と書いてあれば、「京都に来る機会があれば是非声をかけて」と簡単に応じることができる。「最近は足の調子が悪くて」(爺婆の賀状かな)と書いてあれば、状態を質問することも簡単である。
日本、中途半端に文明化したものだから、いまだに紙ベース、ハンコ、対面が重視されている。でも本当の文明とは、インターネットを多用したものになるだろう。対面が必然の場合もあるし、それが効果的なことも多いのも確かだが、時間的な効率性を考えるとある程度限定されるべきだろう。
紙はどうなのか。ごく限定的ではないかと思う。紙の代わりにネット経由の情報なら、保存も簡単である。僕が紙を使うのは新聞と論文を読むときにほぼ限定されている。新聞と論文、一覧性が重要だし、読むときの目の疲れ方が違うから。読んだ後はすぐに捨ててしまうのだが。
横道に逸れたが、賀状もネットベースにするのが最高だと、昨日と今日で確認できた。郵便局の経営者には申し訳ないながら、職員には朗報かも。
2021/01/02