川北英隆のブログ

寺山は冬枯れだから登れる

屯鶴峯から西に下り、橋を渡ったところが寺山の登り口である。作業用の車道になっている。50メートル弱歩くと分岐になる。両方ともゲートがある。右の道が寺山に続いている。
ゲートの脇をすり抜けて、沢沿いの車道を歩く。そのうちに道に草が生え始める。「発破作業、立入り禁止」的な古い看板もある。採石場だったのだろうが、車道の荒れ具合からすると今は廃業したのだろうか。
沢が南西から北西に向きを変える付近で、道が分岐する。地形図によると登山道は沢沿いのはず。古いテープを見つけ、沢に沿って進む。最初、踏み跡は怪しいが、そのうち少し明瞭になる。とはいえ藪が混じり、処理されていない倒木もある。多少強引かなと思いつつも、登って行かざるをえない。
沢が広がると、ほどなく寺山から南に伸びる尾根の鞍部に着く。尾根から沢に下りる地点には目印のテープが多い。錆びた「発破作業、立入り禁止」の看板もある。寺山だが、採石作業が盛んな頃は大阪側から登っていたのだろうか。
尾根上の踏み跡は明瞭だった。鞍部から寺山の山頂はすぐである。頂上には三角点があるものの、林の中で展望がない。
少し下がった箇所から展望があるとネットの記録に書かれているらしいので、そこまで行くことにした。頂上のすぐ下に電波の反射板がある。もう少し下がれば林が伐採されていて展望がある。神戸、淡路島、大阪、和泉が見えた。ベンチもある。風が強く少し寒かったが、昼食にした。。
昼食後、再び尾根を下る。分岐があり、国分病院へと書かれた道を下る。この道、尾根から沢に下りるのだが、沢沿いになると寺山の登りと同じ状態になった。踏み跡はしっかりしているのだが、藪がかぶさっていた。倒木が多かった分だけ、登りよりも余計に体力を使ったかもしれない。
何とか沢沿いの車道に出て下りが終わった。病院の前を通り、川(原川)を渡り、西名阪をくぐって寺山が終わった。藪の多さからすると、同じルートを晩春から初秋にかけて通るのは難しいだろう。
写真、上は屯鶴峯からの寺山である。下は寺山の展望スポットからの堺方面であり、平野部に点在する森は古墳である。
20210221屯鶴峯からの寺山.jpg

20210221寺山から堺方面を.jpg

2021/02/21


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