Spirit of SHINISE協会で喋った。どんな協会なのか。SHINISEは老舗である。検索すると、その協会の理念が2行で書かれている。曰く、「企業価値は解散価値ではありません。企業の永続性と長期的利益に基づく日本の老舗精神を世界に発信します」と。
僕が話したのはいつもながらの京都企業のことであり、長期投資の観点である。とはいえ、投資パフォーマンスでの企業評価がベースだから、「老舗精神」にどこまで合致していたのかは不明である。京都人にとっての前の戦争とは応仁の乱だから、それに免じてもらっておこう。
何故、Spirit of SHINISE協会で喋ったのか。変わった知人、矢内裕幸氏が協会の創設者で、理事長を務めているからである。
その矢内氏とは、考えると、1988年にニッセイ基礎研究所が設立されてすぐ後からの付き合いである。どこで見つけたのかは知らないが、当時の部下だった田宮君が「矢内氏、銀行が保有している株式のデータを持っている」とか聞きつけたので、その矢内氏に会いにいった。株式持ち合いのデータベースを作るためである。残念ながら銀行の保有株式データは得られなかったが、それをきっかけに、その後現在に至るまで、彼と間欠泉的に会う状態になった。
90年代中盤、コーポレートガバナンス問題が浮上し、先日亡くなった中島修三さんの会合だったか、彼と再開したと思う。これも亡くなった興銀頭取だった中村金夫さんを担ぎ出した「日本コーポレート・ガバナンス・フォーラム」(だったと思う)という活動があり、その中で、彼も活躍していた。この「コーポレート・ガバナンス・フォーラム」という緩い組織はいくつかに分裂し、今に続いている。
http://www.cg-net.jp/jcgf/index.html
矢内氏はこのフォーラムからいつか分裂していた。僕もそんなに熱心なガバナンス論者でなかった(以前に書いたかもしれないが、「企業のガバナンスに口を足す前に、そんな企業の株式を買うな、持っているのなら売れ」が本心)。なので、自然と足が遠ざかっていた。
彼と再開したのが2001年だったか、日本アスペン研究所主催の泊まりがけの研修会である。僕は会社派遣で参加したのだが、彼は商事法務研究会だったと思うが、そこから派遣された記者として参加していた。というか傍聴していた。
その直後、彼は日本取締役協会を立ち上げた。ワイン通の彼から何回かご馳走してもらった記憶がある。
残念なことに(何が?)、彼は日本取締役協会を離れ、2009年8月にSpirit of SHINISE協会を立ち上げた。僕はその設立総会に出席したのだが、その後は会っていなかった。
だから今回は11年半ぶりとなる。彼の年齢は65歳だとか。ワイン通だったのに、食中酒はコロナの飛沫を見て止めたとか。
間欠泉的だから、次回会うのはいつになるのだろう。ひょっとして次は極楽(地獄?)でかなと思いつつ、以上を記録しておく。
2021/02/26