川北英隆のブログ

大野山を杉生へ下る

深山から下りた天王は、かつての丹州街道沿いの村である。丹波との境が天王の北側、天王峠である。国道173号線がその名残だろうか。立派な神社(高皇産霊神社)も残っている。関所(摂丹関)があり、石碑があるらしい(後で知った)。
村中に大きな建物がある。見ると、プールと運動場がある。天王小学校だったようで、今は使われていない。かつて関所の下にあった重要な村落も、今は完全に過疎である。
天王からは羽束川に沿って府道を下る。羽束川は昨年7月に訪れた三田近くの木器(こうづき)と羽束山の横を流れ、武庫川に合流する。天王峠を越えると加古川の支流、篠山川の流域だから、国(丹波と摂津)の差が理解できる。
もっとも地形を見ると、天王峠の南(羽束川側)が平らで、北(篠山川側)に大きく落ち込んでいる。やがて天王峠は篠山川に削られて峠でなくなり、羽束川の源流部は篠山川に流れるのだろう。いわゆる河川争奪がまさに今、行われつつあるようだ。
羽束川に沿ったわずかな平地を付近の村は田畑にしてきたようだが、今は耕作放棄が目立つ。獣避けの柵の中が草まみれになっていて、それが証拠となる。
境を越えて兵庫県に入り、篭坊温泉の集落の手前の三叉路で県道を左(南)に折れる。峠を越え、猪名川流域の杉生に入る。別荘地だろうか、宅地開発の跡が残っているが、一方で過疎が進んでいる。
下っていくと、休止した西軽井沢バス停の右(西)に大野山ハイキングコースの道標がある。それを登った。なお、このブログの読者から教えてもらったのだが、休止しているバス停は「西軽井沢」なのだが、「休止中」の張り紙が「西軽」を隠しているため、「井沢」に見える。
登山道周辺は一大別荘地として開発され、西軽井沢と名付けられている。現在、空き地が多く、使われていない建物も多い。別荘地を登る舗装道も傷んでいる。
道標に従って別荘地の上部で左(西)に少し折れると、舗装が終わり、ほぼ一本道の登りとなる。やがて小さな沢沿いになり、少し勾配が緩むものの、最後に長い直線の登りがあり、ようやく稜線に着く。739メートルのピークの南側である。
ピークを越え、アンテナの横を歩くと車道に出る。その車道を横切り、一登りすると大野山の山頂である。深山と同様、展望が良い。山頂の西側に小さなピークがあり、天文台になっている。その天文台まで車でも来られる。ハイカーに何人か出会った。
下りは大野山の南東尾根を下ることにした。西軽井沢から上がってきた箇所まで尾根を戻る。そこから先が下りの尾根道である。明瞭な踏み跡がある。
もっとも、最初の720メートルのピークを過ぎた付近で道は尾根の西側を巻くように下る(地形図の破線路と異なる)。尾根が広く、広葉樹林で落ち葉が多いこともあり、この分岐点を見逃した。地形図の破線路のとおりに尾根上を進み、次の720メートルのピークを越して下った。ピークへの登り付近で踏み跡が不明瞭になり、間違いに気づいたのだが戻らなかった。600メートルの峠の少し上で正規のルートに戻った。
その後は尾根が狭いこともあり、明瞭である。496メートルの標高点から下り、390メートル付近で破線路から分かれ、右(南西)に下る。道なりに下り、最後は獣避けの柵を抜け、車道に出る。扉は2箇所あり、西側の柵のほうが出やすいようだ。
車道に出た箇所は西畑と杉生の間にある峠の、少し西尾寄りだった。東に車道を歩き、立派な神社(八坂神社)と茅葺きの家を見つつ、県道に出る。それを南南西に下れば四つ辻と郵便局があり、杉生のバス停なのだが、最後にちょっとした事件が生じた。
杉生のバス停に「休止中」の紙が貼られていた。「馬が喋るではないが、そんな馬鹿な」と思っていたところ、折返しのバスがやってきて、四つ辻を西に折れた。「やはり終点の折り返し場所があるのや」と、そのバスを追いかけた。70メートルほど歩くとバス停だった。
西軽井沢からバス停まで2時間45分だった。
上の写真は深山手前からの大野山、下は大野山からの深山である。
20210313深山手前からの大野山.jpg

20210313大野山から深山を.jpg

2021/03/13


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