川北英隆のブログ

大宇陀の薬の町並み

大宇陀の町中は一見の価値がある。一緒したM君が「(橿原)の今井みたいや」と勧めてくれた。確かに古い町並みが残っている。最近見たのでは亀山の関もそうである。問題は寂れていることである。歯抜けもある。
横道に逸れるが、文化遺産を行政が何とかしないといけない。失われてから「しまった」と対応するのでは、東日本大震災後の三陸から常磐にかけてみたいな事態に陥る。
見たのは(見るべきは)、まずは関門である。要は城門である。宇陀の城の名は松山城なので、松山西口関門と呼ばれている。戦国時代の城門が城の内部にではなく、城下町に入る箇所にそのまま残されている。少しだけ調べたところ、同じような城門は日本では見つからなかったし、記憶にもない。貴重である。
次に「薬の館」に入った。薬問屋だった細川家の屋敷が薬関係の展示場となっている。間取り図を見ると蔵が4つある。宇陀の薬問屋の中でも豪商だったのだろう。見所は藤沢薬品(現在のアステラス)のシンボル的製品、樟脳の看板である。今は高級和服などがないかぎり使わないだろうが、ナフタリン(この名も古いかな)が出始めた頃、鍾馗さんの描かれた樟脳がわが家に普通にあった。その鍾馗さんの看板である。
その他、古い薬の看板が多く集められている。板製、琺瑯製などである。面白い。
最後に森野旧薬園に入った。入口は吉野葛屋さん(大葛屋)である。葛の製造場を通り、薬園に入る。城山の斜面に沿って薬草が植えられている。当日はカタクリが満開だった。薬園から戻って入口近くの展示場に入る。江戸以降の、大宇陀や奈良の薬の歴史がわかる。
その後、道の駅(バス停、大宇陀)からバスで榛原駅まで戻った。
写真、上は藤沢の鍾馗さん、下は細川家を表から見たところである。
20210321藤沢樟脳.jpg

20210321薬の館.jpg

2021/03/21


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