小学校と中学校の学級を低人数化するという。それは部分的にいいことなのだが、本当に最適な政策なのか。教員の質の低下と、他の選択肢が増えていることを思い浮かべると、過去の流れを踏襲するだけでなく、他の手段も考慮してほしい。
赤旗のネット版によると、衆院文部科学委員会における畑野君枝議員(日本共産党)の質問に対し、萩生田文部科学省大臣が「中学校も含めて、最終的には30人以下が理想だ」と答えたとか。実際には、小学校の35人学級に向けて動き出すらしい。
この質疑と答弁だが、義務教育の実態をどの程度把握したものだろうか。
小学校では5年生頃から学級崩壊が始まっている。教員の質の低下も噂されている。新卒者の減少が続いている中で、教員の採用を増やそうとすれば、これまで以上に質の面で目をつむらないといけないだろう。
僕が子供の頃、小学校の先生は神様だった。便所(当時の用語としてはトイレではなく便所)に行くなんてイメージできなかった。それが今ではどうか。ごく限られた者でしかないのだろうが、あるまじき事件が性懲りもなく報道されている。
この一方で思うのは、地方に在住する生徒への貧弱な教育である。地方の人口減少、子供の減少、在校生の減少、廃校が連鎖的に起きている。これでは、子を思う親ほど、地方在住が選択肢の中に残らない。
日本の義務教育に課せられた課題は、誰もが、どこにいても、均質かつ水準の高い(難しいという意味ではなく、理解できる)教育を受けられることだろう。これは国民の重要な権利である。
この権利を実現させる手段は、かつてなら少人数学級、究極的には一対一(教えた経験上、一対一では教える側も、教えられる側も、ともに窮屈だから、一対四、五が理想)の教育にあった。繰り返すが、少人数は目的ではなく、教育の質を高めるための手段でしかない。
今では、この少人数教育に代わる手段として、オンライン教育が登場している。正確には、日本では新型コロナと同時並行的に一般に知られるようになった。世界を見渡すと、その以前から活用されつつあった。このオンラインとビデオを併用すると、教員の数に多くを依存せず、少人数に近い教育を、どこででも実現できるようになる。一対一も、機械が相手なら窮屈ではない。
イメージすると次のようなものか。
生徒は、自分の理解度に応じた授業をビデオから選択できる。場合によってはオンラインで教員から指導を受けられるし、直接授業や指導をしてもらうことも可能である。
教員側からすれば、生徒に対する有効な学習方法が何かを考え、組み立てることが重要な職務になる。もちろん、自分が得意とする科目を実地で、もしくはオンラインを使って教えることもある。しかもそれをビデオに記録しておく。そして、その記録を、他の教員が使えるように登録する。
もう1つの教員にとって重要な職務は、受け持った生徒の理解度を定期的にチェックすることである。これまでなら理解度のチェックのために試験をした。今では試験なんて気の張ることをしなくてもいい。機材とインターネットさえあれば、そしてパソコンを補助的に使えば、いつでも可能である。
さらに言うのなら、オンラインで学ぶのは教室だけでなく、家でもできる。家で学ぶには自分の部屋が理想となる。とすれば、都会よりも地方の方が有利なはずで、ここに学ぶ場の逆転が生じうる。
以上は大まかなイメージでしかない。文科省をトップとする教育の現場としてやるべきなのは、このイメージを膨らませ、実現に向けて形にしていき、実践に移すことである。伝統的な方法を鵜呑みにし、教員の数を増やそうとすることは旧態依然すぎる。もう少し現実から学び、何がベストに近いのか考えてほしい。要は、時代とともに手段が変わるので、新しい手段に目を光らせておくことが肝要となる。
2021/03/30