東京電力の会長兼取締役会議長、つまり経営トップに三菱ケミカルホールディングス会長の小林喜光氏が就任する方向で調整が進んでいるとか。この職、その前は元日立の川村隆氏が務めていたのだが、昨年6月に退任した。このため1年間は空席だった。
川村隆氏、小林喜光氏とは会議で同席する機会があった。日本の経営者としては、というか日本の名門企業出身者として両氏は異色である。しかし、名門企業の平均値から突拍子もなく外れているわけでない。そんなに外れていたのなら、名門企業のトップにはなれなかっただろう。この点で、両氏とも政府の眼鏡に叶っている(叶っていた)。
2011年の原発事故とは何だったのか。表面的には地震による突発的な事故なのは確かなのだが、その裏に「事故なんて起きるわけがない」との慢心がったのは確かである。もう少し言えば、東電と政府(直接的には経済産業省)との二人三脚が行われていて、2011年にちょっとした石に躓いた。
東電は、そして電力業界全体は政府から様々な利益を生む権益を与えられていた。その見返りに、政府は電力という経済の要をコントロールすることができた。以上により互いに権力を得ていたのだか、ふとしたことで互いに躓いてしまった。でも、政府としては躓いたと白状できないから、経済産業省内でトカゲの尻尾を切り(僕の知り合いが切られたのだが)、その一方で99%の罪を東電に着せた。これが現実の姿だろう。
この政府と電力会社との関係は原発事故以降も大きく変わっていない。変わった点といえば、東電が政府に、実質的かつ完全に従属したことである。とはいえ、原発事故は「政府の責任ではない」のだから、政府が身内からトップを出そうとしないないのも「当然」である。「電力会社がだらしない」から、トップを斡旋するだけである。
川村氏が昨年、何故トップを辞任したのかは知らない。就任時に年限を約束していたのか、東電の経営に(政府との関係も含め)嫌気が差したのか、自分自身の能力に限界を感じただけなのか。
いずれにせよ、川村氏にやれなかったことを小林氏がやれるとは、残念ながら思えない。本当のところ、東京電力の会長兼取締役会議長とは、政府もしくは政治家の誰かが就くべき役職だろう。でも、「それは政府としてリスクが大きすぎる」「政府に傷がつく」をと直感し、民間から生贄を選んだのだろう。白羽の矢を立てたと言うべきか。
電力会社の経営は苦境にある。新しい設備への投資、つまり新しい発電設備の設置や送電設備の増設を思い切るだけの体力に不足している。だから経済産業省は電力供給の抜本的改革に躊躇し、ゆっくりと構造を変えようとしている。他方、その「ゆっくり」を世界は待ってくれていない。つまりグローバルに眺めれば、日本が電力供給で後進国化しつつある。
経済産業省のかなり以前の電力政策の誤りは尾を引いている。東芝と同様(東芝も電力行政の駒の1つだったが)、かつて原子力でボタンを掛け違えた結果、その影響が現時点にも及び、今後も続くことになる。
2021/04/23