先に書いたように、今回は山歩きの準備運動的にJR伊賀上野駅から伊賀鉄道の上野市駅まで歩いた。実家のある郡山もそうなのだが、明治の頃、歴史のある町は蒸気機関車を嫌い、駅を中心から外した。伊賀上野駅もその例に違わないのだろう、多分。
最初、バスの始発である市の中心、上野市駅まで伊賀鉄道を使うつもりだった。しかしJR伊賀上野駅に降りると、まず伊賀鉄道への乗り換え方がわかりにくかった。しかも、伊賀鉄道の列車の発車まで15分程度の時間があった。加えて、伊賀上野駅の手前で気づいたのだが、上野城が意外に近くに見える。目的地の上野市駅は城からすぐである。それに、そもそもはバス乗り場でM氏と会う前、少し城を見学しようと思っていた。
ということで、伊賀上野駅から歩いて城に向かった。駅から城までの2キロはほぼ一直線で、まず服部川(木津川の大きな支流)を渡る。服部、服部半蔵、忍者との連想が働く。
川を渡ると大きな工場がある。エクセディという自動車部品メーカーで、アイシン精機の子会社である。上場している。8時前だったが、ちょうど通勤時間のようだった。西洋系ではない外国人も混じっていた。
工場を過ぎ、坂道を登ると上野である。名前のとおり、台地の上にある。上野の城下町は西を木津川、北を服部川、南を久米川(木津川のもう1つの支流)に囲まれた台地の上にある。高度差は10メートル程度である。
坂を登りきると上野城の西側に着く。地理不案内のため、城の南側の大通りに出て、旧崇広堂(史跡)の横から少し北に戻り、上野城の石垣(高石垣と呼ばれる)を見つつ城内に入った。再建された天守閣を見て南に下り、上野市駅に着いた。
この伊賀上野の市内は子供の頃、何回か通った。国道25号線(名阪国道)が整備される前(1965年より前)、実家の郡山から伊勢方面に行く道としての最短は、奈良、木津、伊賀上野を経て津に出る方法だった。木津までは国道24号線、木津から先は国道163号線をたどる。
思い出すと、伊賀上野に入る手前に「鍵屋の辻」があった。荒木又右衛門が「鍵屋の辻の決闘」という敵討ちに一役買った江戸時代の有名な事件がある。父親が運転する車で伊勢を往復する時、その鍵屋の辻でよく休息し、荒木又右衛門の名を聞いた。一方の上野城へは1回行ったかどうか(「行くか」と聞かれ、「いらん」と言った記憶がある)。なお、荒木又右衛門は郡山藩剣術指南役だったとか。
この163号線、伊賀上野の東で長野峠を越える。当時、地図を見ていると、その長野峠の南に笠取山の名があった。800メートルを越える山だから、奈良盆地の北部に住んでいる者にとって「生駒山よりも高い」「すごい山」である。今回、「青山高原に行くのなら笠取山にも」と思ったのには、この背景もある。
写真、上は服部川の橋から見た上野城、下は上野城の高石垣である。
2021/04/29