最近のコマーシャルで、魚を食べながら女が「臭くないね」(だったかな)と叫ぶシーンを見た。カミさんが「アホやな、魚の味がわからんのか」と怒っていた。僕は「肉だって臭いで」と応答した。
食べ物にはそれぞれ特有の匂いというか、香りがある。新しければ、その香りが好ましい。松茸を珍重するのが好例だ。でもそれが古くなれば、香りを放つ成分が変化し、不快さをもたらす。松茸だって、一度経験したが、古くなれば食べられたものでない。
かつて訪れたマダガスカルの市場で、黒い塊がいくつも連なっているのを見た。近づくと、黒さが一瞬にして赤さに変わった。当時書いたように、芭蕉の「雲の峰いくつ崩れて月の山」のマダガスカル版だと思った。「蝿の峰いくつ崩れて肉の山」。
不快だったのはそのハエではない。もちろんハエの峰に隠された牛肉をレストラン(そんないいものかいな?)が仕入れ、調理し、出してくれていたのだろう。でも加熱してあるから、ハエの卵も調味料になっている。食べて死ぬわけでも、病気になるわけでもない(多分だろうが)。
問題はその肉の臭いだった。そうでなくても僕は牛肉に強くない。美味いと思い食べるのだが、量はいらない。豚や羊の方が好きであり、量も食べられる。
マダガスカルから帰り、しばらく牛肉の臭いに気分が悪くなりそう感じた。実際には牛肉を外見上普通に食べていて、「ひょっとしたら卒倒するのでは」と心配した程度なのだが。
その数年後、マダガスカルに2回目の旅行をしたとき、「料理に牛肉が出てきたらどうしよう」と本気で心配した。幸い牛肉は出てこなかった。その旅行ではもっぱら魚介類だった。もっとも同行した友人はそれにあたり(多分カニ、といっても当然マツバガニではなくてガザミ類だったと思うが)、帰りの飛行機が大問題になった。
もう1つ思い出すのはエイリアン系の映画、プレデターである。プレデターがヒトを狩り、その肉を貯蔵している場面があった。その プレデターちゃん、「ヒト臭いな、どうやって食べよう、香辛料を思いっきりぶっかけようか」と、仲間と喋っているかもしれない。
長々と書いたのは魚の名誉のためである。ヒトに食べられるだけでも名誉毀損なのに、「臭っさ―」なんて言われた分には、その魚が夜中に化けて出るかもしれない。
いずれにせよ、新鮮なうちに食べること、上手に調理すること、そうすれば魚はきわめて美味である。臭くない魚を選り好みするなんて、魚に「アホ臭っ」と言われかねない。それとも魚を日本人ほどには食べない西洋にかぶれているのかも。
2021/05/02