川北英隆のブログ

筏森山から城山へ藪を歩く

八木駅を北に降り、町中を通り、大堰川(桂川)にかかる国道477号線の橋を渡る。最初の目標である筏森山の丘が近い。田舎の風景があり、チガヤの穂がそこかしこにあった。子供の頃、それを食べたのを思い出した。
橋を渡り、すぐに北に折れる。県道である。道は多国山と筏森山の南東尾根との間を通る。2017年に亀岡駅から3つ山を越えて多国山に登った時、筏森山方面が宿題として残ったことを思い出した。季節も同じ5月だった。
筏森山への登山口をネットで調べると、南東尾根の先端、北広瀬村の神社を使う記録が出てくる。その神社の森だろうか、シラサギが群がっていた。今回はそれをパスし、700mほど北、池上村の西側にある寺から登ることにしていた。記録を読んでいると、そこから比較的良い道が筏森山に上がっていそうだったから。
寺の名は池上院とある。村の名そのものである。筏森山の山麓にある。寺の境内の北側から山に上る道がある。少し登り、獣避け柵を抜けると林道に出る。少し村に戻り気味に林道の反対側を探すと、山へ上る道の続きがある。広葉樹林の中、下草にシダの多い道ながら、しっかりと付けられている。ツツジ類が咲いていた。
80mほどの高度差を登り、稜線の鞍部(標高220m)に出る。尾根の左、北広瀬からの踏み跡は薄い感じだった。尾根を右(北)に上がる。立派な鳥居があり、すぐ上に社が2つ(聖天宮と筏森神社)ある。その先、藪に囲まれた中に筏森山の三角点294.9mがある。
三角点の様子からして、城山までの縦走路が心配になった。この心配はいきなり当たった。筏森山から最初は西尾根を下り、その尾根が途中から北西を向くはずなのに、その転換点での踏み跡が不明瞭だった。横に林道があるせいかもしれない。
その後、小さなアップダウンが続く。踏み跡は次第にはっきりするものの、その上に灌木や植林の枝が、生きているのも枯れているのも、てんでに被さってくる。その中を鹿が跳ねていた。
274mの標高点から北西に下り、東横にあるジヤトコ(自動車部品メーカー)の工場の音を聞きながら鞍部を越える。西に山室村があり、道が下っていた。
鞍部から登り返すと城山の一角である。山頂部の踏み跡が不明瞭だったが、高みに登ればいい。城山の三角点221.8mを越し、一度下って登り返すと「新庄城跡(本丸跡)」の古びた看板があった。八木町立新庄小学校の平成4年度卒業記念だそうだ(看板の制作は平成5年3月、つまり1993年)。それによると、三角点のあるピークには南丸があったとか。
城山からの下りは東尾根をたどった。明瞭な道があった。28年前の小学生が歩いた道か。枯れ葉が積もっていたが、明瞭なのでどんどん下っていったところ、谷に入った。城山の東にある文覚(もんがく)池に注ぐ谷である。この道、使われていないようで、道が平坦になってから枯れた竹との闘いが数十メートルあった。最後は獣避け柵を抜け、池の横に出る。城山登山道入口の看板がある。
その後、池の堤を歩き、船井神社に出た。後で調べると、その船井神社の横が新荘小学校だったようで、2015年度に廃校となった(新庄地域活性化センターになっているとか)。
池上院から文覚池まで1時間40分かかった。
写真、上は筏森山の神社である。2つの社が見える。下は城山の三角点である。このピークよりも本丸跡のピークのほうが少し高い(230mある)。
20210512筏森山の神社.jpg

20210512城山の三角点.jpg

2021/05/12


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