高御位山は播磨富士とも呼ばれ、修験の山だったとか。頂上付近に丁目石が残っている。もっとも兵庫や岡山周辺の山には岩が目立つ。文化が栄え、城が築かれ、そのために低山の木が伐採されてきたのだろう。木が伐採されると土が流され、岩盤が露出する。
姫路で下車、大阪方面に少し戻って曽根駅で降りる。駅は北が改札である。駅前のタクシーを尻目にして真東に歩く。目指すは阿弥陀町北池の登山口、遠くない。
高御位山から南に伸びた大きな尾根が途中で分かれ、その1つが西に伸び、阿弥陀町北池(地名)で平地に達する。標高はほぼゼロメートルである。そこが登山口になる。
コンクリートの鳥居(北池から北西に位置する鹿嶋神社のための鳥居)があり、その右横が登山口になるのだが、そこには「登山道ではない」「私有地につき進入禁止」との表示がある。登山道らしき入口は柵が囲われ、入れない。お互いに困ったことである。
登山道は雑木林の中を緩やかに上っていく。54.3mの三角点(点名は北池)の手前から林が終わり、松の幼木やウルシ類などの目立つ灌木帯になる。その先、基本的には同じ植生が続く。露岩が多い。
尾根が北を向き、少し急登して183mの北山奥山に着く。
この付近で水分不足を感じ、登り始めて30分も経たないうちに給水となった。薄日が射し、下の岩の反射があり、風はなく、サウナの中を登っていく気分だった。そんな天候の影響もあったのだろうが、朝に思いついたため、山歩きの身体の準備もなかった。
この付近からササユリが咲くとのことだが、1ヶ月遅かったようだ。ニイニイゼミが暑苦しく鳴いていた。
小さなアップダウンが続くようになる。いろんな登り口からの道も合流する。灌木の間から高御位山と、よく踏まれて白くなった岩場伝いの登り道が見えるようになる。
高御位山の手前のピーク、小高御位山へは一枚岩状の露岩の登りである。キナバル山を思い出した。
小高御位山を越し、高御位山への最後の登りになる。少し林の中に入り、丁目石が出てくる。登山者は多くはないものの、人気の山が故、近頃歩いている辺鄙な山の比ではない。10人近くいた。
登山道沿いに神社があり、その南側に山頂があり、東西に長い岩場である。その上に登り、瀬戸内海側を見ながら昼食にした。
三角点は神社の建物のすぐ北側、登山道との境にある。建物に埋もれるような、大切にされていないような。なお三角点は標高299.7mなのだが、日本山名総覧もネットも高御位山の標高を304mとしている。岩場の上の標高なのだろうか。300m台、少し嬉しいような。
写真、上は高御位山の神社と山頂の岩場(中央左)、下は三角点である。
2021/07/08