川北英隆のブログ

パンと見世物とアスリートと

ローマ時代、大衆がパンと見世物を要求し、政府がそれを提供した。今で言う格差社会を是正するための対応なのか。それとも大衆迎合(ポピュリズム)なのか。
その時代に生きていないので正確にはわからないが、権力を握った者が政治的に生き延びるため、大衆が望むものを可能なかぎり与えたのだろう。
大衆迎合とは接線的な対応でもある。本当に必要な政策を探さず、もしくは無視して、その時点の勢い(方向)に身を任せ、運に頼る。そうすると当然ながら、本来目指すべき方向とのズレが生じる。そのズレの修正に、いずれ多大な力や資金が必要になり、結局は戻しきれない。こうして社会はますます矛盾を抱えた状態に陥る。
オリンピックとは、ローマ時代の「パンと見世物」のうちの見世物である。競技場はローマのコロッセオそのものである。もっとも、ローマ時代のような血を流す見世物ではなく、近代的な見世物ではあるが。
オリンピックを運営する組織(国際オリンピック委員会)のベースは商業主義である。オリンピック選手、つまりアスリートをローマ時代の剣闘士として位置づけているのだろう。とくに今回の東京において、選手はコロナという目に見えない敵とも戦わなければならない。一方のアスリートはワクチンという盾や鎧に身を固め、競技場に臨む。アスリートとしては、ローマ時代の剣闘士のように生きるためではなく、一義的には自己達成意欲や名誉のためなのだろうが。
これに関連して、藤井翔太棋士に対してコマーシャルなどへの出演要請が引きを切らないそうだ。そういう依頼をしたい気持ちもわかるが、藤井棋士には断るようにと忠告しておきたい。ちなみに囲碁や将棋も頭脳のスポーツである。だから棋士もアスリートである。
相撲が典型だが、出世すると谷町の強い要請を受け、いろんなイベントに出演する。その結果、相撲の練習が満足にできず、弱くなってしまう。将棋の世界も一緒だろう。
強くなり、他を寄せ付けなければ、引退する頃にもコマーシャルなどの依頼が来るはず。その時に要請を受ければいい。まずは第一人者の地位を固め、それを不動のものとすることが肝要である。
一方、要請する側は相手の将来なんて何も考えていない。まさに接線的な考えであり、今さえ良ければいいだけだ。

2021/07/21


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