川北英隆のブログ

ブナ林に思う自然環境の価値

ブナ林を歩き、ヒグラシの大合唱を耳に、体当たりを顔に受けつつ、自然環境の価値を考えてみた。
自然環境の価値とは、二酸化炭素の排出権や排出価格に関するものである。
現在、ヨーロッパを中心に二酸化炭素排出に対して税金を課そうとしている。風力を使った発電にヨーロッパは一日の長があること、自動車のエンジンを電気化することによって、この業界における世界の主導権を握ろうとしていることなど、ヨーロッパの産業戦略の一環である。環境という仮面を被りつつ、本音は自分達の利益を追求している。二酸化炭素の排出に関するヨーロッパの動きに手放しで賛同することは、彼らの思う壺である。
かといって地球の温暖化が進んでいることと(シロクマ君がかわいそう)、その原因が人類による二酸化炭素排出量の増加であることは(トランプがどう叫ぼうと)ほぼ明らかである。だから、二酸化炭素排出を減らそうとする政策に真正面から反対できない。
とはいえヨーロッパの戦略に何ら対抗をしないのも地球的に変である。何故なら、二酸化炭素を吸収する活動を積極的に評価する政策を加えないと車の両輪にならないからであり、ヨーロッパはこの点に関して口をつぐんでいる。
その二酸化炭素吸収の最大級のものは森林だろう。海洋も(例えばサンゴの活躍により)平均すると二酸化炭素を吸収しているとされるものの、その海洋の大部分はどこの国のものでもない。
森林は牧草地などの草原と異なり、樹木の幹に二酸化炭素を(正確には炭素を)蓄え、その量が増え続ける。樹木が枯れるまで何十年もしくはそれ以上かかるから、人類が二酸化炭素を減らすために努力する時間を与えてくれる。木材にして利用すれば、さらに長期間、二酸化炭素が蓄えられたままになる。
この森林の役割を積極的に評価しなければならない。山と森林の多い日本の立場から、「森林の保護活動や人工的に森林を育てる活動に対して、マイナスの課税をしよう」と主張すればいい。
自然林を伐採して植林する場合、伐採された木がバイオマス発電などで燃やされれば二酸化炭素の排出が生じ、その分に対して課税されるが、木材になれば(伐採のためのエネルギー消費を別にして)、伐採時点での二酸化炭素の出入りはない。
植林の場合、手入れさえ良ければ広葉樹林よりも二酸化炭素の吸収量が多い。手入れが悪ければ(資料がないので目撃した状態からの推測だが)、広葉樹林よりも劣るだろうが。つまり、きちんと手入れすることを前提とした林業の勧めである。これは地方の、とくに山村の重要な資源、財源となりうる。別の角度から見ると、都市から地方への利潤や財源の移転である。
この動きが世界的に広がれば、アマゾンを焼いて牧草地にする活動も収束するだろう。焼き畑をしているインドネシアも同じである。
この点は、先進国から発展途上国への利潤や財源の移動を生み出す。逆に森林の少ないヨーロッパからすると(アメリカも多分そうだろうが)、二酸化炭素に関する税金の持ち出しに当然なると想定できる。だからヨーロッパなどからの積極的な提案がない。
自然環境の価値を認め、評価することは、地球的な観点から積極的に推進すべき政策である。国際的な利潤や財源の移転は先進国と発展途上国との間の格差是正にもなる。ということで、日本として率先して提案してみる価値が十二分にある。もちろん、(ヨーロッパと同様)多少ずるいが、日本の国益にもかなっている。

2021/07/25


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