「ソマリアって何や」「どこにあるんや」というところだが、先日のマラソンでソマリアというアフリカの国が少し注目された。トップで悠々ゴールしたケニアの選手に次いだ2人、当初はオランダとベルギーだとあったが、本当は共にソマリア難民だったと報じられた。
お互い、知り合いであるとも。姓名が面白い。ゴールした順にアブディ・ナゲェヤー(ナゲーイェとも)、バシル・アブディである。片方の姓がもう片方の名である。出身地をもう少し詳しく知ろうと調べたところ、ソマリアの首都、モガディシュだとあったが、「ホンマかな」というところである。
それはともかく、ソマリアに少し注目が集まったからだろうか、8/18、読売新聞のネットに「世界地図のどこにもない、なのに不思議な存在感」があり、そこにもう1つのソマリアが紹介されていた。「ソマリランド」である。
数年前、知人から「ソマリランドに行きたいね」という提案があった。その当時、ソマリアとは無法の国、破綻国家との印象しかなかったので、早速調べてみた。すると、ソマリランドとそれ以外のソマリアとは植民地としての歴史が異なっていた。ソマリランドのほうはイギリス領、それ以外はイタリア領だったらしい。
そのソマリランドはアデン湾に面し、紅海すなわちスエズ運河の入口に位置する。国としてはジプチの隣りにあり、エチオピアの北半分と接している。「ソマリランドに行きたいね」はジプチから入る計画というものだった。
ソマリランドは1991年にソマリアからの独立を宣言している。2001年に住民投票により独自の憲法を制定し、選挙によって議員や大統領を選び、独自の通貨も発行した。政治的にも安定しているらしい。つまりソマリランドは、無政府状態に近いソマリアとは別物らしい。
しかしソマリランドを国として世界は認めていない。ソマリランドを国として認めると、ソマリアが切り離され、世界から見捨てられたことになりかねない。国連としては今までソマリアの平和のために力を注いできたのだから、ソマリアを窮地に追い込みたくないということなのか。
一方、上で述べたように、ソマリランドは航路の上で重要な位置にある。先の読売新聞によると、1993年のエリトリアの独立によって内陸国になったエチオピアが隣国として接近しているらしい。貿易のための海の玄関口を得るためである。アラブ首長国連邦や台湾も関係を深めようとしているとのこと。
つくづく世界は不思議だと思う。同時に、アフリカの各国がそうだし、再び破綻国家に戻りそうなアフガニスタンも、結局は植民地政策や先進国の都合に揺さぶられ、混乱と貧困から逃れられないでいると思う。貧困から逃れるための満足な教育さえ受けられない。宗教が政治であり、教育であるのが現実である。
ちなみにソマリアの1人あたり国民総所得(2018年)は99ドル、つまり年間1万円だとか。「何、その水準」と思い調べたら、世界最低だった(世界国勢図会による)。政府が機能していないから把握できない所得が多く、またソマリランド側はソマリア政府に何も報告していないから、極端に低い数字になるのだろうが、「それにしても」と、不謹慎ながら呆れるしかなかった。
2021/08/22