川北英隆のブログ

走る加古川線

加古川線を使い、西脇の奥に入ると、それまで知らなかった地域の特色が浮かび出てきた。最大の驚きは、かつて西脇から北西に向かい国鉄の支線が走っていたことである。
行きのバスの車窓から「市原駅記念館」というのを見つけた。「何の駅や、JRか」と見ると、JRの車両が置いてある。「ほんまに鉄道が走ってたんや」と思った。帰りのバスは「鍛冶屋駅記念館」で停まった。行きはタクシーを使った区間なので見なかっただけだ。ここにも車両が置いてある。
帰ってから調べると、西脇市駅からは加古川線の支線、鍛冶屋線というのが敷かれていたとのこと。1990年4月に廃線になった。鍛冶屋駅記念館のある場所が終点の鍛冶屋駅だったらしい。総延長13.2キロである。
そもそも加古川線の「西脇市」という駅名が怪しい。普通は「西脇」のはず。これには理由があり、西脇市駅の元の駅名は「野村」だったとか。そこから鍛冶屋線に入ると、次の駅が「西脇」だった。その「西脇」が廃止になったので、「野村」が「西脇市」となった。
では鍛冶屋線は何故敷かれたのか。木綿の織物(播州織)が盛んだったこと、木材や酒米(山田錦)も輸送されていたことが背景にあるらしい。今でもその名残があり、歩いたりバスに乗ったりして見ていると、非常に立派な家が散在する。かつてこの地方から資産家が何軒も出たのだろう。加古川線や鍛冶屋線はこれらの資産家による建設が始まりだったようだ。
もう1つの驚きは西脇である。西脇という地名は知っていた。多分、全国区に近い知名度だろう。それは高校駅伝の西脇工業高校のおかげである。西脇市には普通の西脇高校もある。どういう理由で工業高校があるのかといえば、繊維工業が発祥だったようだ。
その西脇へ加古川線で向かう途中、小野町駅だったかに「オリンピック 田中希美・・」の横断幕があった。「オリンピック、田中って、ひょっとして女子1500メートルに出てる・・」と思っていると、その田中選手が1500メートルに日本新記録を出し、決勝進出を果たした。記事には西脇工業高校出身、同志社に在学していると紹介されていた。「これは何かの縁、応援するしかないやろ」と思った。
そして今日のニュースで1500メートルに8位で入賞したと知った。日本の女子としての快挙である。ところで、オリンピックの競技で関心があるのは陸上の、それもトラック競技なのだが、「絶対にライブで見るで」とは思っていない。昨日の競技はニュースで入賞を知った後、ビデオで見た。
加古川線、今は繊維の路線ではなくなり、「走る」路線になったか。そういえば鍛冶屋線の一部を活用して自転車道が整備されているらしい。今回歩いていると、自転車道の標識があり、「山田錦発祥の地」とか、「起点から80キロ」とか書かれていた。これもまた「走る」路線の延長上にある。

2021/08/07


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