「終戦の日」か「敗戦の日」か。僕として敗戦を使ったこともあるが、今では終戦かなと思う。全人類的にも終戦だろう。それに1945年のこの日に生き、記憶している日本人も少なくなった。80歳超だろうから、記憶していたとしてもどこまで正確に語れるのか。
父親が亡くなってから10年が経った。彼は中国(安徽省)での戦いの後、ビルマ(ミャンマー)に送られた。今の国名で言うと、中国、シンガポール、マレーシア、タイ、ミャンマー、インドで戦ったことになる。「いちばん大事な20歳代の大部分を戦争で失った」と語っていた。足の2箇所に銃弾の跡があった。中国とインド(インパールの北、コヒマ)での負傷である。帰還後、マラリアにも苦しんでいた。
父親の思考回路はどちらかと言えば右寄りだったが、それでも「戦争が終わって、そして生きて帰れて良かった」と語っていた。彼にとって敗戦なのか終戦なのかを質問したことはない。質問したのなら、多分「両方」と答えるに違いないと思っている。戦争に勝てればベストだっただろう。しかし、「あれでは到底勝てない」と語っていたから、また敗戦で捕虜になったものの相手はイギリスで比較的紳士的だったようなので、内心では「戦争が終わって良かった」と思っていただろう。
戦争は戦勝国にとって合法的な殺人である。もっとも戦っている最中に、「この殺人が合法になるのかどうか」はわからない。指揮者は合法になるよう「最善」を尽くす。最善に背くと考えれば、同じ国の者であっても「裏切り者」として殺す。
戦争とはそういうものである。そんな戦争の生じる理由は様々である。思想の対立もあるだろうが、結局は多くが利害(究極的には生存権)の対立である。そしてこの利害の対立は今でも当然に生じている。この対立と、対立の中での主導権争いは、思想において際立った差異のない西側諸国においてさえ生じる。二酸化炭素の排出権をめぐる動きが象徴的だとだけ、ここでは書いておきたい。
利害対立は一国の指揮者である政治家の個人的な利害とも密接に関係する。一方、戦争になれば大部分の国民が何らかの犠牲を強いられる。
国民として、政治家が高邁であるのかどうか、言い換えれば大局的に正しいかつ合理的な目標を有しているのか、逆に自分自身の利益(名声、権力、金銭的利得など)に傾いているのか、しっかりと見極め、判断しなければならない。
もしも父親がまだ生きていたとすれば103歳である。仮定の仮定になるが、生きていて、さらに思考力が衰えていなかったとすれば、今の日本をどう思うのか。終戦後76年、まだ平和だが、その平和を終わらせる要素が充満していると思うだろう。
日本の政治家に期待したいのは、この平和をさらに20年、50年と守ることである。そのためには与党は当然として、野党も国民の平和への期待に応えなければならないし、政治的影響力の国際化に努めなければならない。
戦没者の追悼行事を否定はしないが、それが形式になってはいけない。進行形の現実を考えることのほうがより重要であり、それへの正しい対応が戦没者への、また戦争を体験してすでに逝った者への本当の追悼となる。
2021/08/15