川北英隆のブログ

人生100年の本音とは

知り合いが満65歳に達し、介護保険料を公的年金から天引きされる条件に達した。しかし彼は現役の教員としての収入があるため、年金の支払いが停止される。よって、介護保険料を自分で納付しないといけない。この手続きで一悶着あったそうだ。
そもそも彼の家は新興住宅街にあって金融機関が遠い。それもあり、彼自身は振替やネットで何もかも済ます主義である。介護保険料も案内にしたがって口座振替にしようとしたところ、初回の納付には手遅れで、仕方ないので郵便局に行ったとか。
そこで文句たらたら、「年金の支払いが停止されることは事前に把握できたはずで、もっと前に口座振替の手続き用紙を送るべき、そんなことも把握できんかったら行政として失格や」と。
そのついでに「介護保険が強制加入やったら税金として徴収したらええやん」と主張していた。これには大いに賛同である。僕としては基礎年金部分も、その受給が憲法第25条「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」で謳う権利を形成するのだから、その保険料相当部分を税として徴収すべきだと考えている。もっとも、所得の把握をきちんとしてもらいたい、税をちょろまかせて食い逃げする輩を出してはならないと切望するが。
さらなるついでに介護保険を評価して彼が言うには、「(介護保険が税金でないのは)厚労省の利権を増やすためであり、片方で国民の負担を平気で増すのですやろ。厚生が聞いて呆れまんな。寄生虫は宿主を元気に生かして生き延びる、厚労省もそれと一緒やね」と。つまり厚労省=パラサイト説であり、さらにはそこに人生100年説の本音が隠されていると言いたいのだろう。
介護保険が制度として導入された当時(2000年)、僕が思ったのは、「なんでこんな屋上屋を重ねるような制度を作るのか」だった。介護が必要だとは理解したとして、その必要な分を公的年金制度、健康保険制度の中に給付の内容を工夫しつつ組み込めば十分だったはずである。
それなのに新たに制度を作ったのは、厚労省(当時はまだ厚生省だったかも)の利権拡大のためと思われても仕方ない。それを認めた政治も支持団体に媚を売ったのだろう。ついでに書けば、「必要ない介護や関係サービス」を提供する業者も雨後の筍のように生えてくる。
介護保険、今は国家予算の重荷となっている。国民としても大きな負担である。当時の政治も役人も刹那的に、利権のことを考えつつ、また支持団体がニコニコしているものだから突っ走り、後世に残した大禍根には知らん顔なのだろう。今はむしろ、人生100年というキャッチフレーズの中に隠そうとしている。
ちなみに、2021年度の介護保険の予算額(つまり総利用額)は12.8兆円、2000年度の4倍に達している。この21年度予算のうち、5.5兆円が介護保険料で賄われる。6.5兆円は税金、0.9兆円は利用した者の負担である。詳しくは財務省の資料にある。
知人が介護保険の手続きに関して、年金の支払い停止を把握できなかったのはアホやと怒っているのと同様、介護保険が将来の日本の負担になることを予測できなかったのは政府の大いなる失策である。というか、真面目に少し先を読もうという意識も意欲も工夫も、ひょっとして能力もないのかもしれない。
それに人生100年を生きたとしても、その途中で体も頭もボケたらどうするのだろう。そんな状態で生き永らえたくはない。ましてや家族や介護者に嫌がられ、業者を喜ばせてまでして。
以上、知人の怒りを借りつつ、かなり昔のことを思い出して書いてしまった。

2021/09/18


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