日経朝刊の文化欄に「9.11後の20年」が連載されている。社会人になりたての頃から行きたいと思いながら(多分ね)ついに行けなかったアフガニスタンのことを含め、興味深く読んでいる。その中で、今日の酒井啓子氏のコメントには少し違和感があった。
見出しは「イスラムと民主主義 矛盾せず」「欧米と異なる制度にも理解を」である。この見出しのうち「欧米と異なる制度にも理解を」への違和感である。
アフガニスタンには行っていないが、思い出すままに訪問したイスラム文化の国を書くと、マレーシア、イラン、トルコ、エジプト、モロッコ、ウズベキスタン、アルジェリア、ヨルダン、アラブ首長国連邦、オマーン、イエメンだろうか。インドネシアも入るかもとも思うが、行ったのは仏教のバリ島が主なので、除外だろう。
それらの国々で感じたのは、ほとんどの場合、国民がどこまでイスラムの戒律を本気で信じているのかということだった。禁じられているはずのアルコールが大好きだったオジさんもいた。「アルコールが含まれていると言われなければ飲んでもかまわない」というお兄さんもいた。
これらの体験から思うのは、イスラムもまた、他の多くの文化に理解を示すべきだし、すでに示している割合も高いのではないかと。
僕として、アルコールを飲まなければ友達になれないとは言わないし、豚肉を食べろとも言わない。逆にヒツジの肉は美味いと思うし、イスラム圏の多くの国のヒツジ料理は絶品である。
さらには、イスラムの戒律には発祥の地において科学的根拠もあったと考えている。水の入手が難しい土地で、利尿作用のあるアルコールを飲むは、それも痛飲するのは死に至る。ブタは穀物を食べて育ち、乳も出ないし毛も取れない。だから不経済な家畜である。このように考えると、中近東周辺でのイスラムの戒律は科学的である。
女性のヒジャブはどうなのか。砂漠に近いカンカン照りの乾燥地帯で髪を隠し、口や鼻を覆い、ついでに顔を隠すのは理に叶っている。男だって髪を覆うし、砂埃が立つと口を覆う。この男女両者の服装は共通していると思うのだが、これにどの国にもあった女性差別が混じり、さらには一夫多妻制度が加わり、女性が外で目立たないようにと極端な衣装を要求したのだろう。
このイスラム教が多くの地域に伝播するとともに、戒律の科学的な根拠が怪しくなる。マレーシアやインドネシアでアルコール禁止と言われても、水はどこにでもある(飲み過ぎはダメだけど)。ヒツジを飼うよりブタを飼う方が簡単になる。多分ヒツジは多湿と高温に強くないはずだ。人が頭や顔を布で覆ったら暑くなる。
このように考えると、イスラムの戒律を万国共通のものとして絶対視するのは無理がある。日本の仏教ほどいい加減なのを宗教とするかどうかはともかく、イスラムの戒律に柔軟性を持たせたらどうなのか。そうすれば世界のイスラムを見る目が変わるに違いない。
もちろん酒井啓子氏が書いているように、欧米の考え方を変えないといけないのも確かである。トランプ氏のような科学を信じない(もちろん科学も絶対ではなく、常に進化していくものなのだが)、いまだに天動説を信じているような頑固な爺さんの頭の中身を是非変えよう。そうしたらイスラム戒律から不思議な部分が消え、互いに尊重しあえるかもしれない。
ひょっとして、イスラムの国で堂々とアルコールを飲めるかも。これが以上の文章の本音だったりして。
2021/09/09