川北英隆のブログ

周山の「こきの」に思う

周山でJRバスから「京北ふるさとバス」の灰屋行きに乗り換えた。灰屋とは京都の北、芹生(せりょう)や花背(花脊、はなせ)に近い村落である。灰屋は京都市右京区だが、花背は左京区である。このためバスは花背に行かない。縦割り行政のような、財政難のような。
しかもである。どんどん横道に入るが、京都市北区の北に右京区も左京区もある。正確に書くと、京都の家並みが続く付近では、上京区の北に北区があり、その西と東に右京区と左京区がある。そこから北に行くと北区がなくなり(桟敷ヶ岳は北区の北端の少し手前にあり、そこへの途中で歩いた城丹国境が北端)、右京区が北区の北に被さり、左京区と接するようになる。そもそも周山とその周辺は丹波国だったのだが、それを京都市が吸収合併したからだろう。以上、にわか京都市民としては地図を見ながらでないと書けなかった。
それはともかく、バスに乗り、降りる予定の鳥居バス停付近をスマホで確認していてふと目線を上げると、「こきの」という文字が目に入った。バス前方のスクリーンである。と文字が変わり、「姑棄野」と表示された。「ひぇー」である。
そんなジジババを棄てるような山奥ではない。周山からバスで5分もかからないし、桂川沿いに狭いながらも平地がある。「勝手に生きて」ということで、そこまで連れて行ったのか。
ネットで調べたところ、どこまで実話なのか創作なのか不明ながら、飢饉の時にお婆さんが自分で山に入ったことから姑棄野になったとある(京都北山の昔話)。
いずれにしても昔の生活は大変だったに違いない。「その反面、今はいいな」と思うのは、現実を十分に認識していない証拠となる。今もまた、老人をかかえていると別の意味での大変さがある。僕もカミさんもその苦労から開放された。老々介護に入る直前なのか、そこに足を片足突っ込んだ段階なのかはともかく、70歳になる前に終わった。
人生100年を喜ぶのは誰なのか。80歳代後半になり、父親も母親も喜んでいなかった。共に最後まで一応歩けたし、母親は一人で生活できていたのに、喜んでいなかった。自由に遊びに行けなくなったのが大きいのだろうか。それとも誰も遊びに来なくなったからか。
僕も80歳くらいまでは生活を楽しめる可能性が大きいのではないかと思っているが、その先は不明である。80歳代のどこかで、生きたいと思わなくなるかもしれない。
この現実を直視しなければならない。京都市内には「延命地蔵」が多い。50歳代、60歳代で亡くなることが多い時代なら、延命地蔵のご利益が重要になる。今の時代は逆に「短命地蔵」か「極楽超特急地蔵」を欲する予感がする。

2021/09/18


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