選挙戦が始まった。京都では10月に入ってすぐだったか、各党の活動が始まり、それが自宅での仕事の邪魔になる。研究室は比較的静かだろうが、通勤時間がもったいない。
その選挙戦、各党は「バラマキ」に主眼をおいた政策を前面に出している。昨日か一昨日、枝野さんが選挙カーに乗り込み喋っていた。声はなかなか美しく、弁舌爽やかなようなのだが。
今日の日経の紙面トップの見出しは次のとおりだった。「分配」強調 「成長」乏しく。
記事の中身は予想通りでしかないが、見出しに日経新聞のスタンスを感じた次第である。
では日本の政治家がこぞって主張する分配重視する政策とは何か。思い起こすと、共産の思想を実践すべく経済体制を作り上げた、今は無きソ連のスローガンに行き当たる。国民が平等に、平和に生活するユートピアを目指したわけだ。
しかしユートピアは白昼夢だった。経済の基本を忘れていた。適当に過ごしていても分配にありつけるのなら、誰も真面目に働こうとしない。だから経済がぼろぼろになる。
こう考えると、日経が見出しに書いた「成長 乏しく」は大いなる、言い換えれば新聞としての精一杯の皮肉だろう。
成長するためにはどうするのか。
格差については、極端な状態は許されないものの、ある程度許容しなければならない。働いても働かなくても、起きていても寝ていても、同じ結果しか得られないのであれば、働くのがスポーツだ、働くのが趣味だと思う者以外は働かないだろう。働いたとしても、それに見合った人並み以上の生活が約束されないのなら、それこそ不公平である。
競争も、それが格差の原因なものの、絶対に必要である。競争の結果、敗者は方向転換せざるをえない。その場合には社会として、敗者に方向転換できる機会を十分に与えればいい。
例えば、事業の失敗と倒産も許容しなければならない。必要なのは、「事業の失敗や倒産が今後の糧になる、いい体験をした」と、ある意味で称え、「次の事業を起こすのであれば、また働き口を探すのであれば、十分な支援を考え、支えよう」との社会的な意識の醸成である。
今の日本のように、「倒産を極力減らすこと」を目指してしまえば、経済の新陳代謝が図れず、経済が成長しない。人口減少社会の中で貴重化する人材を薄く広くばらまくに等しい。付け加えれば、倒産させないという意識の裏には、倒産は駄目な極地であり、企業を倒産させた者は駄目人間だとの、大いなる差別意識が潜んでいる。
格差を生まない、一人も敗者を出さない社会を今の政治家は唱えようとしている。しかしそれが白昼夢であり、故ソ連の二の舞になることは明らかである。では、そんな白昼夢に近い社会の実現を選挙で唱える政治家とは何なのだろうか。
小学校の歴史の教科書を、付箋付きで渡してあげようか。それとも「変な人が車に乗って、何かがなっている」と110番でもするかな。
2021/10/19