JR富田駅の北口に出て、その4番乗り場からバスに乗った。市バスだから220円と安い。大和(だいわ)で降りる。住宅街である。少し車道を戻り、西向きに住宅街の道と階段を上がる。正面に阿武山古墳と、その手前に建物(京大阿武山地震観測所)が見える。
住宅街の北の外れから地震観測所へ向かう道が少し分かりにくい。細い道を上がらないといけない。阿武山古墳への正規のルートは大阪薬科大学からか、もしくは南の塚原からか、これらが正規のルートらしい。
細い道を上がり、地震観測所の下に出て、そこから西に入ると阿武山古墳への散策路に出る。途中、大阪の中心部のビル群がよく見えた。散策路から少し右(東)に入ると阿武山古墳の中心部に出る。広葉樹林の中のよく整備された場所である。オバさんが掃除をしていた。
古墳から散策路に戻り、阿武山を目指す。少し登りがあり、山頂に達した。バス停から30分程度である。家を遅く出たので、阿武山山頂に着いたのが昼の少し前だった。山頂で食事をしていた登山者がいた。三角点(280.9m点名は阿武山)だけを写真に収め、山頂のすぐ手前を右(東)に入り、下った。
最初は広葉樹の林の中で気持ちがいいのだが、そのうち道にタイルの破片が混じるようになり、残土や破砕したコンクリートの処分場のような広場の横を通る。西側(石堂ヶ岡などの箕面の奥の山?)が見えるものの、きわめて殺風景である。
それを過ぎ、少し下ると関電の北大阪変電所に突き当たる。非常に大きな施設である。その突き当りを右(東)に折れ、関西大学の入口を右に見つつ下ると、萩谷月見台の住宅地になる。左手に注意していると、北に入る狭い車道があり、「行き止まり」の表示がある。「行き止まり」とは車に対するものである(山を歩いていると、この手の表示が多く、困ってしまう)。その道に入り、谷沿いに下る。途中、摂津峡への分岐を右(東)に分ける。下り切ると小さな沢を渡る。実はこの沢、今回の最後に訪れた摂津峡、白滝の上流部になる。
後は紛らわしい箇所が少ない。萩谷総合公園を直進して横切り、萩谷の村に入る。市バスの通る車道を歩く。萩谷の最上部から林道になる。植林が多い。
405mの独立標高点横の峠を越える。緩やかな林道を歩くと、地獄谷峠まで200mくらいの地点で左手(西)の小さな谷にテープがあり、踏み跡が見える。高ヶ尾山への道らしい。今回は地獄谷峠という恐ろしそうな名に引かれていたので、その分岐には入らなかった。
地獄谷峠は峠らしくない峠で、林道はさらに先へと緩やかに上がっている。峠の標識の左横の尾根に、非常に薄い踏み跡がある。その薄さに少し戸惑ったが、仕方ないので尾根を登った。広葉樹林の中である。
登り詰め、すぐに広い稜線に出る。踏み跡が明確になり、テープも目立つ。そのまま起伏の少ない稜線をたどり、最後に南西へと少し下る。左(東)の谷から道が合流する。先に見た分岐から来ているらしいが、谷には植林の倒木が目立った。
その合流点から踏み跡が極めて明瞭になり、高ヶ尾山の山頂へと伸びている。山頂は針葉樹と広葉樹が混じった林の中だった。三角点(480.3m、点名は萩谷)があるものの、展望は皆無だった。
下りは同じ道を地獄谷峠まで戻った。やはり峠への下りは不明瞭だった。大きなヘビが横たわっていた。ストックで尻尾を触ってやったのだが、だるそうに動いただけだった。冬が近い。
大和のバス停から阿武山を越し、高ヶ尾山を往復して地獄谷峠に下りるまで2時間20分かかった。
写真、上は阿武山の山頂、下は高ヶ尾山の山頂である。
2021/11/11