川北英隆のブログ

山城の三ヶ岳を歩く

今週は三ヶ岳をいつものM君と一緒に歩いた。三ヶ岳ってどこにあるのか。関西本線笠置駅の北北東、直線距離で5キロ程度に位置している。お茶(宇治茶)を主要産業にしている和束町の東を区切る山である。
三ヶ岳に登るだけなら関西本線の笠置駅で降りて歩くか、笠置の1つ手前の加茂駅で降りて和束までバスを使えばいい。でも、これで少し芸がないというか、物足りない。そこで今回は笠置駅のもう1つ先、大河原駅で降り、童仙房(どうせんぽう)という高原状の地域を歩いた後、三ヶ岳に登ることにした。童仙房という名と、その地域に「一番」から「七番」までの地名が付いていることに引かれたからである。三ヶ岳の後、どう帰るのか。その日の時間次第で、笠置まで歩くか、和束へ下りてバスに乗るかを決めることとした。
京都駅からはJRの奈良線で木津まで行く。そこで関西本線に乗り換えるのだが、木津の次の加茂までは電車、加茂から先はディーゼルであるため、もう一度乗り換えが必要になる。
ついでに書くと、今年5月の笠置山の時とまったく同じ時刻の列車を使った。今回、奈良線の電車と関西本線の加茂から先のディーゼルと、ともに連結車両数が減っているように感じた(間違っていたら御免なさい)。JR西日本が赤字対策として、列車の本数と連結車両数を減らしているのだろう。
遅い時間帯から動き始めたため、大河原駅を出たのが11時少し過ぎだった。ウィキペディアによると、大河原駅は関西本線で一番利用者が少なく、一日30人台とのこと。そんな駅のすぐ西で南山城村役場の前を通る。考えさせられる村中心部の登場だった。
川(山城谷川)を渡り、左手、川沿いの車道に入る。国道163号線(バイパス)の下を通り、道なりに西北西へと山城谷川沿いに登っていく。水はきれいなのだが、車から投げ捨てられるのか、道路の下の斜面に空き缶類が多いのにはうんざりさせられる。
山城谷川が細くなり、そこで道は北を向き、童仙房地区に入る。童仙房の地名の由来は不明とのこと。現在の童仙房は明治以降の開拓によるらしい。
その村を六番から三番までたどる。番号は和束に近い箇所からふられているようだ。五番からは東海自然歩道である。三番の先で車道と別れ、林道に入り、南山城村と和束町の境、峠に達する。その峠から北へ、三ヶ岳への登山道がある。
三ヶ岳を往復すると14時半を過ぎた。そこで和束へ下った。林道兼東海自然歩道が続いている。茶畑を見つつ、遠く大峰方面と、この付近の名山である鷲峰(じゅうぶ)山を展望し、また三ヶ岳を振り返りつつ下った。和束は原山に出た。そのバス停で悠々バスに乗れるはずだったのだが、ここで事件が起きた(後述)。
上の写真は童仙房にあった京都府支所跡の溜池である。開拓の印として残っている。下は和束への下りに見た鷲峰山である。
20211203童仙房支所跡.jpg

20211203鷲峰山を.jpg

2021/12/03


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