大河原から山城谷川に沿って高度を上げてきた車道は谷の源流部分で北に向きを変え、峠を越えて童仙房地区に入る。童仙房はちょっとした高原である。茶畑がある。六番を過ぎた付近に「開拓」の文字が見える。とはいえ時が流れ、開拓が廃屋になっている。
五番で東海自然歩道に合流し、西に向かって車道を歩くようになる。泥洹(ないおん)寺という「誰が読めるんや」という名の寺の横を通り、四番に入る。童仙房地区の中心部らしい。「役所池」があり、かつての京都府支所跡との説明書きと、横に「開拓百五十年記念」の石碑があった。調べると2019年3月17日に石碑の除幕式があったらしい。
四番から下り、緩やかに登り返すと三番である。茶畑が多い。三ヶ岳らしき姿が見えるが、丘でしかない。高度差が150メートル程度だから仕方ないだろう。
村を外れると東海自然歩道が右に分岐する。狭い車道(林道)である。なお、左方向に車道を道なりに歩くと笠置に行く。分岐した林道は峠へと高度を上げる。遠く宇陀の山らしい姿が見え、さらに奥に大峰方面がうっすら見えた。
峠に着く。童仙房からの落葉広葉樹中心の林が終わり、和束側は植林になっていた。その峠から北へ、放棄された茶畑の横に踏み跡がある。三ヶ岳への登山道である。その踏み跡は580mのピークへと登っていく。途中2箇所で倒れた木の枝が被さっていた。
580mのピークで踏み跡は東に向きを変える。後は広葉樹林の中、稜線に沿って歩けばいいだけだが、落ち葉が新しかったこともあり、踏み跡は必ずしも明瞭でなかった。550mの鞍部に一度下った後、三ヶ岳の最高点への登りとなる。ピークの南西の肩の部分に上がり、そこから少し右に曲がるように軽く登ると山頂だった。
展望は、落葉した木の間から鷲峯山が見える程度だった。617.8mの三角点(点名、童仙房)があった。童仙房の村を通り、童仙房に登ったことになる。帰ってから調べてわかっただけだが(要するに、事前にはルートしか調べていないわけ)。
三ヶ岳山頂からは、往路を峠まで戻った。数歩歩くと、踏み跡が2つに分かれていた。想定していなかった(見落としていた)ので少し迷ったが、地形からして(先に小さなコブがある)右の踏み跡だと判断した。家に帰ってから地図を見ていると、左の踏み跡(コブらしきものがなく、そのまま下っている)は三ヶ岳の南東尾根を下る道らしい。
峠と三ヶ岳の間は、登り25分、下り20分だった。峠からは西に東海自然歩道を下った。途中、見晴らしのいい場所があり、宇陀、曽爾、大峰方面がよく見えた。生駒の見える箇所もあった。
三ヶ岳も木の間から見え、その名の由来がわかった(多分)。というのも、和束側からだとピークが3つ見える。地形図で確認すると、三角点のあるピークが一番南にあり、その北側に同じくらいの高さのピークが2つある。南山城や和束の周辺では、三ヶ岳の標高618mは鷲峯山(682m)に次いで高い。つまり和束から見ると大きなピークであり、しかも3つの高まりが並んでいることから、三ヶ岳と「岳」まで付いた山名になったのだろう。
写真、上は三ヶ岳の山頂である。下は三ヶ岳の3つのピークなのだが、木の間越しにしか見えなかった。もっとしっかり見えそうな場所もあったのだが、耕作放棄された茶が背丈以上に茂っていたため、確認できなかった。
2021/12/04