法貴の登山口から霊仙ヶ岳のコース、行きも帰りも55分だった。行きは新しい踏み跡を利用し、帰りは昔のままの荒れた道を忠実にたどったため、登りも下りも同じ時間を要したのだろう。
電車のラッシュを避けて家を遅く出たにもかかわらず、法貴に戻ったのは13時半頃と、まだ早い。ついでにと、明智の戻り岩まで散策がてら歩くことにした。
法貴の村を南に歩くと法貴川の両側に山が迫ってくる。明智の戻り岩へのハイキングコースとの表示があり、法貴川左岸に広い道があるものの、道には草が多い。夏はヘビが怖いかもしれない。
このハイキングコースなるものは、かつての摂丹街道だったようだ。この街道は法貴川を遡り、法貴峠を越して妙見山の近くを通り、池田市へと通じている。国道423号線に相当する。ただし今の423号線は法貴峠からヘアピンを描いて法貴に下っている。摂丹街道の最大の難所だったのだろう。
その旧街道を少し上がると右手に神社がある。国狭槌(くにさづち)神社といい石工や土木の神様のようだ。この神社の石は茶色く染まっている。苔が生えているようで、湿気が多いのだろう。秋から冬にかけて霧が多いと考えられる。
神社を過ぎると道は急になり、草も多くなる。法貴川が滝となって流れ、その上に砂防ダムがある。その横を登ると鉄骨が組んであり、上に仮設の橋がある。法貴バイパスの工事中のようだ。
ハイキングコースは、工事中の橋の横に砂利を敷き詰めて続いている。しかし仮設の橋をくぐり終えると沢にぶつかり、消える。沢の増水で道が流されたようだ。小さな岩場を一度川底に下りて越えなければならない。水量が多いと靴を濡らすだろう。
その岩場を越えると明智の戻り岩である。明智光秀が兵を引き戻した箇所と言われている。またこの岩には「南無妙法蓮華経・・日蓮大菩薩」と彫られている。霊仙ヶ岳にあった石の彫り物といい、さすが石工の神社の郷と思える。ついでに書いておくと、法貴には1軒、石工があった。
明智の戻り岩からは同じ道を戻った。法貴の村から国道へと最短コースを通ったところ、国狭槌神社の大きな鳥居があった。その後は国道を歩いて京都先端科学大学に出た。
帰り、亀岡駅へのバスも、亀岡からのJR西日本も、学生の下校時間と重なり混んだ。とくにJR西日本は経費カットのため連結車両数を減らしており、京都市内に入るとラッシュになった。二条駅では、学生をかき分けてなんとか降りられた。もっとも電車に乗る時に悪い予感がして、座っている席の窓を開けておいた。これが大正解だった。
リアルでの授業が多くなっているのに、車両数の間引きと重なるのは、いずれコロナのクラスターにつながるのではないか。そのちぐはぐさに呆れるばかりだった。
それはともかく、上の写真は国狭槌神社、下は明智の戻り岩である。
2021/12/10