日本では以前から円安待望論が根強い。円高とは、日本企業のグローバルな競争力を削ぐことだから、円安が望ましいとの説であり、それへの願望である。本当なのか。
競争力の観点からの円安待望論は、その初っ端から間違っている。つまり議論の出発点からミスっている。正しくは次の論理だろう。
日本企業のグローバルな競争力が非常に強いから円高になる。だから円高が望ましい。円高はあくまでも結果である。消費者の視点からも、海外輸入品が安くなるから、円高が望ましいに決まっている。もっとも、円高が行き過ぎると企業の競争力を過剰に削いでしまうので、円高の行き過ぎを是正する意味においてのみ、円安が求められる。
輸出中心の日本企業はいつも円安を望む。同じ製品やサービスを売ったとして、円安のほうが円ベースでの手取りが大きいからである。円高になれば、努力して良い製品を作ったとしても、もしくは従来と同じ製品を安く作れるようにしたとしても、円高になった分だけ「努力が報われない」。だから政府に円安を要望する。
政府としてはこの企業の声を受け入れすぎてはいけない。企業が製品やサービスの努力をしなくなる。さらに円安になりすぎると、何の努力もしていないのに生き残る企業が続出し、経済活動の新陳代謝が進まない。つまり生き延びる価値ある企業がくすんでしまうし、世界に輝く企業が育たない。勉強しないのにほぼ自動的に卒業できる学生みたいなものか。
角度を変えて見ると、円高は日本の経済力が強い証拠であり、円安は弱い証拠である。この日本経済の力を円とドルの関係で見ておこう。
1995年と2011年に円が最高値を付けた。1995年4月に瞬間的に79円/ドルに、2011年10月には75円/ドルになった。このうち95年の円の高値は、80年代後半の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」としての経済力を後追い的に反映したものである。11年の円の高値は、08年のリーマンショックという欧米経済の失態が基調にあり、加えて海外に置かれていた円資金が東日本大震災によって国内に還流するのではとの思惑による。いずれも日本の経済力の相対的な高さを反映したものである。
経済的に弱い国の通貨がどうなるのかも参考になるだろう。南米、アフリカ、ソ連崩壊後のロシア、今のトルコなど、経済的に弱体化した国の通貨が売られ、ますますその国の経済が苦境に陥る。逆に通貨高によって苦境に陥った国の例はない。だから政府として目指さないといけないのは長期的な円高であり、決して円安ではない。
個人としても円高が喜ばしい。コロナでここしばらく海外に行けなくなっているが、海外旅行をするとわかるように、円高だと優越感を味わえるし、実際にも得である。逆に円が安いから海外から日本へとわんさか観光客が押し寄せ、普通の日本人が食べられないような国内の美味い食べ物をぱくぱく食べられてしまう。
ということで、今の円安は日本全体としては嬉しくない。たとえばガソリン価格が上がる理由の1つは円安にある。
一方、喜んでいるのは競争力のない日本企業である。彼らにとって「競争力がないため、ドル換算で安売りするしかない製品を輸出しても、円換算でそこそこの手取りが得られる」。つまり競争力のなさを円安でカバーできる。
もっとも、個人として円安を少しだけ楽しむ方法がある。それは金融資産をドルやユーロで保有することである。円安になればドル建て、ユーロ建ての金融資産の価値が円ベースで上がる。このため日本国内では相対的に豊かになれる。だから「半分だけ万歳」である。。
2021/12/19