僕が社会人になったのは1974年4月だった。その74年はインフレの只中、前年の73年には店屋からトイレットペーパーや洗剤が消えた。社会人になってすぐの5月、懐も暖かく三重の山奥の山を歩いた記憶をたどりつつ、ついでに当時の賃金の状況も思い出した。
実質的な社会人生活が始まったのは3月末からだった。4月1日に入社式があり、その前日か、前々日かに研修施設に呼び集められた。最初に給与をもらったのは4月20日だった。
初任給がいくらだったのかを調べたところ、日本生命の大卒は7.9万円だったとある(東洋経済の会社四季報)。三菱銀行が7.4万円だったそうだから、少し「勝った」。
前年の73年がいくらだったのか。日本生命6.2万円、三菱銀行6.0万円とある。74年の日本生命は27.4%のアップである。
翌75年の日本生命の初任給がいくらだったのかは、会社四季報から消えている。日本生命は株式会社でなく、上場していないから、会社四季報での扱いは「付録」でしかない。そこで三菱銀行を調べたところ8.5万円、前年に比べ14.9%アップしている。ついでに76年を調べると8.9万円、4.7%アップしている。
実は当時の初任給の上昇率は抑えられていた。金融機関が人気業種だったから、多少抑えても人が集まった。実際のところといえば、入社した翌年から給料が本当に「ガーン」と上がった記憶がある。正確には覚えていないが、倍増に近かった。
いずれにしても給与は、前年の消費者物価上昇率を反映して上昇した。今と違い、当時の労働組合は真面目に経営者側と交渉していて、春闘の時期になると、賃上げ交渉の経過報告がチラシとなり、毎朝ほど会社の入口で配られていた。
さすがに金融機関のストはなかったものの、交通機関のストは4月の毎年の行事だった。「賃金が上がるのやから仕方ないな」とストによる鉄道のストップにも耐え、時には近くに泊まることもやり(僕は経験していないが)、出勤したものである。
では消費者物価の上昇率はどうだったのか。各年1月について前年同月と比べてみたところ、上昇率は次のとおりだった。参考のため、()内に三菱銀行の初任給の上昇率(前年比)も書いておく。
73年 5.8%(15.4)、74年23.3%(23.3)、75年18.0%(14.9)、76年8.9%(4.7)
夢のような時代があったものだ。今の三菱UFJ銀行の初任給は20.5万円だそうだから、76年から45年かけて2.3倍、年間1.87%の上昇である。
しかもこの上昇率の大半は1990年までのものである。90年の初任給を調べたところ16.1万円とある。21年までの31年間の上昇率は年間0.54%、情けない数字だった。アーメン。
2021/12/26