川北英隆のブログ

伊勢奥津駅と学能洞山

名松線の伊勢奥津駅のことを書いたところ、いつもブログにコメントをいただく山口のTさんから連絡があった。奥津駅の今昔の写真がネットにあると。
50年前の奥津駅のサイトにリンクしておく。
それを見てはじめて気づいたことがある。それは、奥津は「おくつ」ではなく「おきつ」と読むことだった。
古いディーゼルカーの写真が写っている。関西本線が電化される前にも走っていたと記憶している。
その名松線、当時は奥津まで1日9往復だったとか。今はというと、松阪まで6本往復ある。これに加えて2本あり、それは上り下りとも途中の家城(いえき)止まりである。
鉄道マニアではない僕として、知らないことばかりだった。サイトにある昔の奥津駅だけは何となく記憶にあるような気がしたが、考えてみると、昔の田舎の駅はどれもこれも同じようだったかもしれない。
Tさんからのコメントに触発され、当時の写真を探してみた。3枚だけあった。駅は記録せず、山を記録しているだけだった。M君との登頂の記念写真、山頂から見た局ヶ岳と三峰(みうね)山、下から見た学能洞山の3枚である。
三峰は日本300名山に入っているので写真を撮ったのは当然に近いが、ついでに局を入れたのは、それが鋭鋒として目立ったからだろう。
下から見た当時の学能洞山は大きなカヤトの山のようだった。印画(カラー写真)の色が褪せているので判別が難しく、落葉した広葉樹林も混じっているのかもしれないが、山頂部がカヤトであるのは確かなようである。今でもそうらしい。
忘れかけていた学能洞山、少しだけ鮮明になった次第である。点と点だけだが。

2021/12/28


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