年賀状について、昨年からネット(特定の相手に送る場合は添付ファイル付きメール)に切り換え、紙ベースを例外と位置づけた。ネットの賀状も「こちらが勝手に近況を伝える」ものとした。その結果はと言うと、年賀状がある意味で楽しくなった。
ネットにして手間が大きく減ったかといえば、必ずしもそうではない。というのも、僕の場合は「幼稚園児の字」「ミミズの字(字が小さいから線虫の字かな)」だから、手書き部分がほぼゼロである。だから年賀葉書への印刷時間が減っただけである。
ちなみに元旦に年賀状をブログにアップしたが、個人宛に送ったものもほぼ同じである。違いは、名前の部分に住所などの情報が入っているだけにすぎない。アップしたものを見てもらうと分かるように、手書きできる空間がほとんどない。書けるとしても1行程度である。以前、賀状に印刷する文面を相手に応じて変えた年もあったが、最近はそれもしていない。
ネットを使った賀状は、実は革命をもたらす。つまりDX(Digital Transformation、デジタルを用いた革新)となる。友人がほぼ同時期に年賀状を廃止して、消極的対応(来た賀状にメールで返事する方式)に変えたところ、僕と同じ感想を持ったそうだ。
どういうことか。元旦か、その数日後に相手から返事が来る。それによって無沙汰している相手の近況が実況中継的に判明するのである。
逆に紙ベースの賀状ならどうなるか。「お元気ですか」と書いておいたとしよう。その相手が賀状を受け取った時点で病気になっているかもしれず、次の年の賀状に「昨年は病気をして大変な目に遭いました」と書いてあるかもしれない。もっと極端な場合、相手の奥さんから年末近くになって、黒い縁取りのある葉書が届くかもしれない。この点、メールで賀状を送った相手に何かあれば、即座に返事をもらえる。「今年の正月は調子が悪くて、まさに寝正月になっています」とか。
それはともかく、メールベースの賀状にメールでの返事が何通も届いた。それを読んで、いくつかにはこちらからも返事を書いた。年賀状を廃止した友人が言うには、紙ベースの年賀状が届いた相手にはメールアドレスが分かっている場合、返事を出したそうで、そのメールに相手からも返事が来て、そのやり取りが良かったと。
ついでに彼が言うには、紙ベースの年賀状なんて郵政の陰謀ではないのかと。郵政事業の収入の相当部分を年賀状が占めてきたのは確かである。政府が重い腰を上げ、押印の廃止を含めて書類のデジタル化を進めようとする時代に、紙ベースでの年始の挨拶を続けようというスタイルには時代錯誤を感じる。
陰謀説はともかく、無沙汰している知人などと近況の連絡がてら挨拶したいのなら、ネットの時代にはいくつも方法がある。上で書いたように、その方が実質をともなう。まさにDXである。郵政には申し訳ないながら。
2022/01/10